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伊南バイパス全線開通

2018年11月19日 月曜日

2018年11月17日、当社の前を通る国道153号線「伊南バイパス」が全線開通しました。唯一の未開通区間だった、駒ヶ根市~飯島町間の橋が完成したことによる全線開通です。1977年(昭和52)年に着手してから42年間を要し平成最後の年に完成という、何とも壮大な年月を要してしまった感があります。
この「中央アルプス大橋」と名付けられた橋は、長さが990メートルもあり一般道では県内最長の橋だそうです。「国鉄飯田線・田切のΩ(オメガ)カーブ」は古い鉄道ファンにとっては有名な「撮り鉄」スポットですが、この橋はそのΩカーブの東側にかかる橋です。特徴なのが、中田切川を渡る橋でもあるのですがその長さはわずかなもので、実は長い距離のほとんどは道路の高さを揃えるための橋であることです。低い台地に高い橋脚を立てて、高架にして高い台地どうしを一直線で結ぶものです。伊那谷特有の地形では、一旦低地の沢まで坂を下ってから橋を渡り、そしてまた坂を登て進むしか術がなかったわけですが、21世紀のこの橋は地形のハンデをものともせず一直線で結んでしまうという土木技術の凄さを見せつける橋です。
開通の式典には阿部守一知事や宮下一郎衆議院議員もおいでになり悲願達成を祝うとともに、我先にと思うクルマで橋の上のみならずバイパスは終始大渋滞でした。

薄っすらと初冠雪~中央アルプス山頂10月15日

2018年10月18日 木曜日

ちょっと寒くなってきた駒ヶ根です。
台風の雨の中でしたが、9月30日には第6回駒ヶ根ハーフマラソンが無事に行われました。10月に入った5日には、第12回山麓美酒フェスタが行われ、地酒の日本酒やビール、ウイスキー、ワインなどを味わうイベントが開催され、街の中は大いに盛り上がりました。10月7日には、NHKのど自慢・駒ヶ根市などもありましたがご覧になりましたか?
さて冷え込んだ10月15日、中央アルプスの山頂付近ではやはり初冠雪が見られました。「どうりで…」という思いと「いよいよ…」という思い。冬の前のプレゼントでもある雄大な紅葉の進み具合は、例年よりは遅めでしょうか。急なご予定でも、是非「駒ヶ岳ロープウェイ・千畳敷カール」へお越しいただきたいと思います。10月20日~21日にかけては恒例の「中央アルプスウェストン祭」も行われます。英国人のウォルター・ウェストンは日本山岳会の父ですが、ウェストン祭は中央アルプスの玄関口である駒ヶ根市らしいイベントの一つです。(詳細はこちらから/駒ヶ根観光協会
「新そば」が本格的に提供されるのは11月からでしょうけども、年間を通して安定の味「駒ヶ根ソースかつ丼」がありますので、グルメもご安心ください。市内46店舗のいたるお店でご提供しています。病みつきになりますよ!

⇩ 中央アルプス観光様 / YOUTUBE動画

旧駒ヶ根カントリークラブ

2018年9月25日 火曜日

稲刈りが真っ盛りの駒ヶ根です。
今月は、関西地方の台風被害と北海道の地震災害が立て続けに起こるという不幸な月となりました。台風では「ソーラーパネルの危険性」が浮き彫りになり、北海道の大停電では「自然エネルギーに頼った発電力の限界」も取り沙汰されました。良い面と悪い面の両方があるのでしょうが、地方では閉鎖したゴルフ場をメガソーラー発電所に転用する流れがあるのも実情です。
駒ヶ根市中沢にも、「駒カン」の愛称で親しまれたゴルフ場がありました。大変な山奥の、褒められるようなゴルフ場ではありませんでしたが、それでも18ホールを備えた市内のゴルフ場でもあったため、多くの市民ゴルファーがここで腕前を上げたのでした。ところが2007年には営業停止。その後に紆余曲折を経ながらも何とかコースだけは運営されていたのですが、ついに2015年には完全閉鎖。最新の所有者はメガソーラー発電所への転用を発表したのでした。そして今年2018年の冬からは発電事業がスタートするそうです。
パネルを設置する直前の駒カンに入れてもらうと、面影もなくクラブハウスは取り壊され、コースは芝とも草とも区別がつかない荒れ放題となっていました。再び市民が訪れることもできませんが、楽しかった思い出話は長く残り続けるでしょう。

赤穂高校甲子園出場~昭和35年~

2018年8月20日 月曜日

お盆を過ぎて、朝晩の肌寒さに驚く駒ヶ根です。
さて、今年の甲子園は長野県代表の佐久長聖高校が、1回戦を勝ち上がるなどの健闘を見せてくれました。長野県代表と言えば、近年は松商学園か佐久長聖高校の2強となっているのが実情です。しかし実は、甲子園には無縁と思われている駒ヶ根市の甲子園ネタもありますのでお伝えしましょう。
昭和35年の第41回全国高校野球大会・長野大会の決勝戦。伊那市営球場で甲子園への出場を賭けて戦うチームは、我が駒ヶ根市の赤穂高校と相手は文武の名門・長野高校でした。地元チームが地元で戦う決勝戦となり、伊那市営球場は開場以来の大観衆を集めて超満員。当時、球場隣にあった伊那東中学校は急きょ休校にする事態に。騒然とした一帯の雰囲気の中、相手の長野高校にしてみれば既に完全なるアウェー状態。しかも何ということでしょう‼球場に入れず、周囲のクルマの中でラジオ観戦をするしか術がなかった地元ファンは、赤穂高校のピッチャー竹村君の投球の度にクラクションを鳴らして相手バッターを威嚇してしまう始末。熱狂的?な応援の甲斐あって、見事に赤穂高校は甲子園への初出場を手にしたのでした。
甲子園では惜しくも早稲田実業に2回戦で負けたわけですが、このように当時は、広くどの高校にも甲子園への出場チャンスがあった良い時代だったのですね。

現在では、応援で沸き返ったスタンドも取り壊された伊那市営球場

 

 

災害の記憶 ~「三六災害」昭和36年~

2018年7月12日 木曜日

西日本豪雨によりお亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された皆さまへのお見舞いを申し上げます。

長野県南部でもかつて甚大な災害の歴史があります。「三六災害」(さぶろく/さんろくさいがい)と呼ばれるものです。私たちが子供の頃は学校で災害の歴史を学び、全国から支援品が送られた事を教わりました。
今から57年前のちょうど同じ時期、昭和36年(1961年)6月24日から7月10日にかけての梅雨前線豪雨により、長野県南部は真に今回の様な災害に遭っていたのでした。駒ヶ根市を含む長野県南部の伊那谷では、あちらこちらの山が爪で引っかいた様な土砂崩落に見舞われ家屋は押しつぶされ多くの人が圧死、河川も氾濫し土石流が沢を埋め、天竜川では堤防が決壊し一面濁流の海と化した甚大な被害だったのです。県内死者数は134名という大災害でした。特に隣村の中川村四徳地区は、土石流が谷あいの集落を一気に崩壊、生存した四徳の人びとは集団移住をするしか生きていく術を失いました。下伊那郡大鹿村では大西山が6月29日朝突然に崩落し、裾野の集落を一瞬で呑み込み42名が亡くなりました。
駒ヶ根市では中沢新宮川、百々目木川流域で土砂崩れによる5名の命が奪われ、60戸もの家屋が押しつぶされました。何と上流のがけ崩れは390か所にも及び、新宮川発電所も決壊してしまいました。
昨今の豪雨災害は毎年のように日本のどこかで起こります。伊那谷では大きな災害を経験したにもかかわらず、57年を経過した現在では緊張感は失ってしまった様に思えます。もちろん当時と今では防災インフラが違います。ダムもありますし、堤防も立派です。しかしそれでも真摯にハザードマップを受け止めることや、危険な土地からの住み替え希望者への支援などは、今後不動産業界総出で行える事業であると考えています。

【参考サイト】国土交通省天竜川上流河川事務所「三六災害アーカイブス」よりhttp://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/36saigai/index.html

駒ヶ根高原別荘地

2018年6月20日 水曜日

梅雨明けを待ちわびる6月中旬の駒ヶ根です。
さて、皆様は別荘地と言えば”軽井沢”を真っ先に連想されることでしょう。人口2万人の山間の町、長野県軽井沢町は夏の避暑シーズンになると別荘族で20万人の人口に膨れ上がります。これに加えて、年間800万人の観光客が訪れるわけですから、夏の1か月間には86万人以上が滞在する計算です。これは東京都世田谷区の人口88万人に匹敵します。さらには、軽井沢町には別荘地からの潤沢な固定資産税収入があり、東京都と同じく国からの地方交付金が0円の地方公共団体です。このあたりが、「東京の24番目の区」「東京の飛び地」と言われる所以でしょうか。

実は駒ヶ根も”第二の軽井沢”を目指した時期がありました。もっと言えば多くの県内市町村がそうでした。隣の伊那市にも飯田市にも「昔の市の別荘地」と呼ばれる場所が山の麓にあります。県内では有名無名関係なく「高原」と名の付く場所には大抵別荘地が存在します。その多くが開発された昭和30年代とは、別荘地開発時代だったのです。海外旅行など普通の人には行けず、新婚旅行でさえも熱海か宮崎だった時代に、「サラリーマンでも買える別荘」ブームがあったのでしょう。企業や学校も「保養所」としてあちらこちらを購入しました。駒ヶ根高原別荘地は、土地を一帯の所有者である光前寺から駒ヶ根市が借り受けて貸し出す方法で行われました。昭和40年代に開通した中央自動車道への期待感も当時は大きかったでしょう。しかし期待感は次第にしぼみ、現在に至っては全国の別荘地同様に衰退した現実を認めざるを得ません。一方では駒ヶ根高原の別荘を熱心に活用される方や、定住に利用される方も見受けられます。新たに建築されたログハウスも数棟見受けられます。せっかく駒ヶ根市もインフラも整備を行った別荘地でもあるので、”第二の軽井沢”がダメならば、今度は”第二のビル・ゲイツ”が現われないものかと期待しています。

繋がる伊南(いなん)~田切の橋

2018年5月18日 金曜日

あるぷす不動産が面する道路は、国道153号線伊南バイパスと言います。隣り合う駒ヶ根市と飯島町をほぼ一直線に貫いてしまう全長9Kmのバイパスです。そして、残りの工事区間の「田切地区」に架かる大橋が間もなく繋がろうとしています。
この橋の完成で伊南バイパスは今年度中に全面開通となるはずです。実に30年の長きに渡る工事で、その間には幾多の工事凍結も経験。さらには4車線化から2車線化に変更されて開通することになりました。今の時代は30年前に想像した未来とはかけ離れた部分も多く、開通への想いは人それぞれのようです。「伊南(いなん)」地区は、長野県南部の中核都市である伊那市に比べて、人口も経済力も劣る伊那市南部の4市町村が「伊南」というキーワードで団結してきた歴史があります。農協、消防、医療、教育、スポーツ、行事そして「お母さんは隣村からお嫁に来た」「娘は隣町に嫁がせた」という具合に、伊南は親戚みたいな関係です。その地域が地形的なハンディを克服して、一直線の道路で結ばれることには大きな意義があるはずです。開通の機会にはまたご案内したいと思います。

新年度の駒ヶ根

2018年4月9日 月曜日

平成30年度がスタートしました。駒ヶ根市内の小中学校の入学式も4月5日に行われました。新社会人はこれから毎日続くクルマ通勤をどう感じているのでしょうか?クルマ通勤はお金もかかって大変ですので、無駄遣いをしないように頑張ってください。フレッシュな生活を祝うかの様に、今年のソメイヨシノは例年より1週間ほど早く開花し、すでに本日10日には散り始めています。光前寺前のスイセンも今がピークです。しかし、まだこれから開花する種類の桜や、花桃、ツツジ等と、花々が必ず風景に入り込むのも駒ヶ根の4月です。以前にもお伝えしました駒ヶ岳サービスエリアのスマートインターチェンジも先日開通をしました。伊南バイパスの最終工区も今年度中に開通しますので、この話題は別途お伝えすることにしましょう。
一方で年度末に消えてしまった物もあります。駒ヶ根高原の光前寺横の、貴重な現代美術館であった「駒ヶ根高原美術館」がすっかり取り壊されてしまいました。あれこれ言っても後の祭りです。開館当時、池田満寿夫の作品からは強烈なオーラを受けて、美術館を出た時にはぐったりしてしまったことを覚えています。動き始めた新年度のトピックでした。

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写真:光前寺下のスイセンと中央アルプス

福寿草~大沼湖

2018年3月15日 木曜日

いよいよ春を迎えた駒ヶ根です。今年の冬は大した積雪もなかったので大変に楽でした。
3月に入ると早々の1日深夜に大きな春雷が一帯に轟きました。それ以降、こんなに順調な春への道のりになるとは思いませんでしたが、中旬の今ではもう花々が咲き始めています。写真は駒ヶ根高原の大沼湖の土手に咲き乱れる福寿草です。例年「福寿草まつり」が3月初旬に開催され、今年2018年は3月4日(日)に行われました。
福寿草は春を告げる花として必ずニュースで伝えられますが、その映像と言えば100%「雪の中から健気に顔をのぞかせて咲いている可憐な姿」という映像です。辛い冬を耐えた信州人の心を福寿草に重ね合わせたいので、どうしてもそういう映像になるのでしょう。残念ながら、駒ヶ根では大沼湖の福寿草が咲く頃にはもう雪はなく、落ち葉の重なる土手に咲く福寿草です。真っ白い雪の中の福寿草ではありませんが、とても可愛らしい花と共に春を実感する喜びに変わりはありません。

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冬季オリンピックと長野県

2018年2月26日 月曜日

皆さん、平昌オリンピックは盛り上がりましたね!「そだね~!」連日流れる感動の涙。NHK長野放送局に転勤してきたアナウンサーが言っていました、「長野に来て、冬のオリンピックがこんなに楽しみに感じたことはない!」この言葉は冬季オリンピックと長野県との密接な関係を上手に表現しています。
冬のオリンピックは長野県の選手が約1/4を占めます。つまり、我が村・我が町からオリンピック選手が出るわけですから、選手への想いは全国の方よりは計り知れない深さになります。小平奈緒選手も、”スケートの速い娘がいる”と地元では中学生の頃から知られていました。いつもローカルニュースでは話題が伝えられていて、そしてようやく17~18年越しのオリンピック金メダルです。つまり、こういったストーリーが長野県のあっちこっちに、各選手ごとにあるわけです。さあ、そしていよいよオリンピック!熱くなりますよね…。
「県民意識が強い県」だと言われますが、なるほど冬のオリンピックがあるたびに「私は長野県民である」ことを強く自覚し、また誇りに思うのです。そして「長野オリンピック」の事を今でも鮮明に思い起こすのです。あゝ長野県民。また4年後が待ち遠しい!

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写真:長野オリンピックメダル授与会場(長野市)