災害の記憶 ~「三六災害」昭和36年~

西日本豪雨によりお亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された皆さまへのお見舞いを申し上げます。

長野県南部でもかつて甚大な災害の歴史があります。「三六災害」(さぶろく/さんろくさいがい)と呼ばれるものです。私たちが子供の頃は学校で災害の歴史を学び、全国から支援品が送られた事を教わりました。
今から57年前のちょうど同じ時期、昭和36年(1961年)6月24日から7月10日にかけての梅雨前線豪雨により、長野県南部は真に今回の様な災害に遭っていたのでした。駒ヶ根市を含む長野県南部の伊那谷では、あちらこちらの山が爪で引っかいた様な土砂崩落に見舞われ家屋は押しつぶされ多くの人が圧死、河川も氾濫し土石流が沢を埋め、天竜川では堤防が決壊し一面濁流の海と化した甚大な被害だったのです。県内死者数は134名という大災害でした。特に隣村の中川村四徳地区は、土石流が谷あいの集落を一気に崩壊、生存した四徳の人びとは集団移住をするしか生きていく術を失いました。下伊那郡大鹿村では大西山が6月29日朝、突然に崩落し、裾野の集落を一瞬で呑み込み42名が亡くなりました。
駒ヶ根市では中沢新宮川、百々目木川流域で土砂崩れによる5名の命が奪われ、60戸もの家屋が押しつぶされました。何と上流のがけ崩れは390か所にも及び、新宮川発電所も決壊してしまいました。
昨今の豪雨災害は毎年のように日本のどこかで起こります。伊那谷では大きな災害を経験したにもかかわらず、57年を経過した現在では緊張感は失ってしまった様に思えます。もちろん当時と今では防災インフラが違います。ダムもありますし、堤防も立派です。しかしそれでも市民がハザードマップを真摯に受け止めることや、危険な土地からの住み替え希望者へは、不動産業界総出で支える必要があると考えています。

【参考サイト】国土交通省天竜川上流河川事務所「三六災害アーカイブス」よりhttp://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/36saigai/index.html