郷土力士「御嶽海」の執念を見よ!

令和8年の9月場所(秋場所)、十両4枚目の番付で臨んだ長野県の郷土力士「御嶽海」でしたが、残念ながら5勝10敗と大きく負け越してしまいました。
一年の締めくくりとなる来月11月の九州場所は、十両9枚目〜11枚目あたりの番付になりそうです。
十両は14枚目までですから、来場所こそは是が非でも勝ち越せるよう応援しなければなりません。

元大関まで登りつめ、幕内優勝3回という輝かしい実績を持つ御嶽海だけに、十両下位への後退は県民にとっても胸が締めつけられる思いです。
しかし、プライドを横に置き、土俵に向かう執念は見事というほかありません。まさに今こそ、相撲取りとしての美学を貫いている真最中ではないかと思えます。

(ざんばら髪の幕内力士として)

かつての彼がどれほど凄まじい力士だったのか。学生相撲のスーパーエリートとして角界入りすると、わずか4場所で新入幕を果たしたことを覚えていらっしゃいますか?
「大銀杏(おおいちょう)」をまだ結えない幕内力士を時々見かけますが、御嶽海の場合は髷(まげ)さえ結えないほどのスピード出世。
「ざんばら髪の幕内力士」として大きな話題になりました。今から11年前、2015年11月場所のことです。
とんでもない怪物が現れたと、NHKの大相撲中継でもセンセーショナルに湧き立ちました。
東洋大学から大相撲に入門する木曽出身の力士として、長野県内では広く知られてはいましたが、まさかのスピード出世にお年寄りたちはテレビの前で歓喜したものです。

(皆が抱き合って泣いた)

強いとは知りつつも、まさか大関にまで昇進するとは長野県民も予想していなかったと思います。ましてや3回も幕内優勝を果たし、あの大きな賜杯を抱くことになるとは夢にも思わなかったはずです。
しかし、ついにその瞬間は訪れました。2018年7月の名古屋場所、御嶽海は悲願の幕内最高優勝を果たしたのです。
70歳・80歳を超えたお年寄りたちが、あれほどまでに喜ぶ姿を私は見たことがありません。
普段は静かな老人たちが「やったー!やったー!」と声を張り上げてはしゃぐ姿。あの光景が県内の各地で繰り広げられたのかと思うと、御嶽海の成し遂げた功績はとてつもなく偉大です。
地元の木曽・上松町(あげまつまち)では、町長をはじめ町民の皆さんが歓喜よりも抱き合って泣いたと伝えられています。

(今こそ御嶽海の執念を見よ!)

御嶽海は単に強いだけのお相撲さんではありません。立派なお相撲さんだと心から感心するのは、彼自身がこうした故郷の光景をしっかりと胸に刻んでいるところです。
長野県の人たちがどれほど自分の「取組み」を楽しみに待ってくれているか。番付に名前が載る限りは、精一杯相撲を取り続けたいと思っていると感じます。
その執念を支える原動力は、地元や応援してくれる人々へ。そして相撲部屋や土俵への恩返し。さまざまな想いが執念となって土俵に上がっているのだと察するのです。

アマチュア時代からの天才肌で、入門後は出世が早すぎて先輩力士が付き人になるしかないほどのエリートです。大関まで経験し、頂点を極めた者ならば、十両に陥落した時点で現役を退いていてもおかしくありません。
今の立場は、下から這い上がってくる若手力士へぶつかっていく身。
並々ならぬ執念がなければ、過去のプライドを封じ込めることなど到底できないはずです。

今こそ、「御嶽海」という力士の執念を目撃できる貴重な時間です。
これぞ、我が長野県が誇る郷土力士の生き様。
11月の九州場所は一戦一戦、県民総出で背中を押し続けましょう。

郷土の誇りを背負った力士の執念はすさまじいのだ!

「移住」を「スピリチュアル」と「量子力学」から考える

秋の気配を感じる駒ヶ根です。
「移住」をテーマに不動産業を営んでいると、まるで見えない力によって駒ヶ根へ導かれてきたかのような移住者様に出会うことがあります。
そんなケースに出会う時、そこには「縁」という言葉以上の、何か「スピリチュアル」的な感覚を覚えてしまうものです。
今回は、移住を「スピリチュアル」と「量子力学」から考えてみることといたしましょう。

…
【スピリチュアルが引き寄せる?】

以前、愛知県三河地方から駒ヶ根へお嫁に来られたおばあさんに聞いたことがあります。親戚知人などには全く無縁の駒ヶ根だったけれど、女学生の時代に飯田線を下って駒ヶ根辺りまで来た時に、「あっ、私はここへお嫁に来るのだ!」そう直感したのだそうです。
電車で通り過ぎようとする見知らぬ土地なのに、そんな直感を受け取ったりするのは、仏教における「前生」が影響しているのでしょうか?
それとも「予知能力」が感知したのでしょうか?

「移住」もこのケースと同様に、スピリチュアルな視点で言えば、それは「過去世での縁」が影響している可能性が高いと言われるようです。

(1) 過去世の記憶や縁、魂の故郷である。
かつて住んでいた、または長い時間を過ごした場所であるために、懐かしさや安心感を覚える。

(2)土地に呼ばれる感覚、不思議と心落ち着く。
その土地と魂が繋がっている証拠とされる。その土地のエネルギーが、あなたにとって必要なタイミングである。

もし貴方が、移住先として駒ヶ根、あるいは伊那谷がどうしても気になる場合、そこがあなたの過去に繋がる場所であり、何かが生まれようと待ち構えている場所なのかもしれません。

…
【量子力学を用いて考える】

きっと、スピリチュアル的なものを好まない方もいらっしゃるでしょう。そこで、現代科学の礎である「量子力学」の視点から、上記の(1)~(2)を説明しようとする興味深い理論が下記(3)~(5)に存在します。

(3)「量子もつれ」による、土地とのリンク
「量子もつれ」とは、一度接触した粒子同士が、距離に関係なく影響し合う現象を言います。
これは魂の記憶と言った方がより理解しやすく、過去生における駒ヶ根の物質(粒子)とあなたの意識が「もつれ」状態になり、時空を超えて引き合っているという考え方です(量子脳理論/仮説)。

(4)ゼロ・ポイント・フィールド(量子真空)
宇宙には記憶装置というものがあって、宇宙のあらゆる出来事や記憶が記録されているエネルギーの場があるそうです(アカシックレコード等とも呼ばれます)。
人の意識がそのフィールドにアクセスし、その土地特有の「過去の記録」を読み取って「懐かしい」と感じる感覚のことを言います。

+ 実は【仏教】でも、古くからゼロ・ポイント・フィールドを「虚空蔵」と呼び、その「蔵」(くら)の中にある情報・知恵を人々に授ける仏さまが「虚空蔵菩薩」という教えがあります。

(5)パラレルワールドの残像
量子力学における、「もう一つの並行する世界(パラレルワールド)」では、今まさにその土地に住んでいる「もう一人の自分」の感覚が流れ込んできているという仮説。
2020年ノーベル物理学者のロジャー・ペンローズの理論によれば、もし意識が量子的なものであれば、量子的な意識が、時間や場所を超えてバイブレーションのように駒ヶ根と言う土地に共鳴していることは否定できない。
物理学的には、この世には「もう一つの並行する世界」があると考える方が正しいのだそうです。そっちの世界は「パラレルワールド」と言い、こっちの世界の自分の意識に反応を及ぼしているという理論です。

…
【まとめ】

どなた様にとっても、「移住」という大きな決断には大変なエネルギーを要するはずです。
今、移住へ向けて長い時間を家族で話し合い、多くの時間をかけてあちらこちらを訪ね歩いたり、さらには、たくさんのセミナーやイベント・相談会に出かけておられる移住希望者様にとって、スピリチュアルだの、量子力学だのといった話は受け入れがたい側面もあると思います。

でももし、移住先に迷ってしまい意志が定まらない時、そんな時は「未来の自分や、未来の家族が暮らす姿を最もイメージしやすい場所」へと向かわれるのが、最良の選択ではないかと思います。
一人でも多くの方が、駒ヶ根に暮らすイメージを持っていただけます様に、心よりお待ちしております。

中央アルプス千畳敷カールを行く

「夏の水難事故」と「14歳の厄」

(14歳の天竜川の記憶)

50年近くも昔の話。14歳だった中学生の夏、友人たちと天竜川で川遊びをすることになりました。
思い思いが川遊びをする中、私は川の真ん中を目指しています。しかし、流れに耐えられない限界は突然に訪れました。直前の一歩までは何事もなかったのに、この瞬間から終わりです。

仲間には流されることを告げようとしましたが誰も気づいてはいません。ザーザーと流れる天竜川の轟音に、大声もかき消されて届きませんでした。
すでに身体は天竜川の一部と化し、遊び場所だった橋の下はみるみる遠ざかります。想像をはるかに超える水流の勢いは想定外でした。
700メートルほど流された頃、運よく川岸へ向かう流れに乗ります。
「ここで助かりそうだ!」。河川と堤防の間には、無数のテトラポッドが並んでいます。必死に腕を伸ばし、指先をコンクリートに引っ掛かけ、ようやく難を逃れたのでした。
友達の弟が、猛ダッシュで自転車を漕いでやって来るのが初めて目に入りました。小学生にもかかわらず、必死で追いかけて来るではありませんか!あの時は本当にありがとう。

(14歳は偶然ではない)

夏になると、必ず水難事故が起こります。
日本財団などの水難事故調査の統計では、子供の水難事故の年齢別ピークは「7歳」と「14歳」に集中していることが分かっています。
現代の水難事故は安全管理上の問題、つまり「体力を過信し、行動範囲が広がったことによる無謀な行動」が主な原因と片付けられがちです。

しかし、この「7歳」と「14歳」という年齢には明確な意味があります。
「7歳までは神のうち」とされる幼少期を過ぎ、かつての成人式であった「14歳の元服」を迎えるまでの間、それは、子供でも大人でもない年代です。
古来より民俗学や地域信仰では、この変化の渦中にある男子には「魔が入りやすく、災いに遭いやすい」と考えられてきました。
中でも、子供の終わりの境界線である「14歳の厄(数え年15歳)」は別格です。大人の厄年(男性25歳・42歳・61歳)の影に隠れがちですが、実は人生で最初にして「最も命の危険が大きい厄年」として、古くは非常に恐れられていたのです。

(水辺はあの世との境界)

民俗信仰や精神世界において、「水辺」とは=「この世とあの世」の境界空間です。そして魔物に引っ張られる少年たちもまた、「子供と大人の境界にいる、不安定な存在」なのです。
不安定な少年が境界の空間に近づくと、あの世の力に引っ張られやすいという恐怖や畏怖が日本人の精神にはありました。
お年寄りから「お盆を過ぎたら川へ行っちゃァいかんぞ!」と言われた記憶をお持ちではありませんか?。
お盆を過ぎると霊たちはあの世へ帰って行きますが、供養を受けられなかった無縁仏たちが、妬ましさから子供を連れていこうとするのだと信じられていたのです。

(日本人の精神文化は知恵である)

冒頭の経験からもわかる通り、元気でエネルギーに満ちた少年が、いとも容易く不慮の水死を遂げるという悲劇は、古代から繰り返されてきたことでしょう。
突然、水辺から我が子が消えてしまう。当時では死体さえ戻らない悲しみを「神様が連れていった」と神道的に解釈しながら、人々は絶望を乗り越えて生きてきたとも言えます。

もしあの時、私が天竜川で命を落としていたら、両親の人生にはどう影響したことでしょう。一緒だった友達にも、消えない心の傷を残したに違いありません。とは言え、あの時川の中へ足を進めたスリルや探求心は、中学生の男子にとっては決して「無謀」の一言では片付けられない、抗いがたい衝動だったとも思えます。

であればこそ、私たち日本人が畏れてきた「14歳の厄」という精神文化を再認識しておくべきではないでしょうか?
「魔が入りやすく、災いに遭いやすい」そんな年齢であることを知っていればこそ防げる事故もある。そして、「あの世の力は存在する」と畏怖の念を抱いておくことは、現代を生きる人間にとっても決して損ではないのです。

中央アルプス眼下を、蛇行しながら流れる急流「天竜川」

 

 

「サッカーW杯」と「松本山雅FC」と「駒ヶ根の移住者サポーター」

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(サッカーW杯を教えてくれた同級生)

高校生だった1980年頃のサッカーは極めてマイナーなスポーツで、サッカー部が女子にモテることもありませんでした。
仲の良かったサッカー部の同級生が、「今日からワールドカップが始まるもんで、夜は寝れんのよー」と言います。その時初めて、サッカーに「ワールドカップ」という大会があることを知ったほど、世間も静まり返っていた時代です。
「日本は出場するのか?」と尋ねると、「それは夢のまた夢」と彼は答えました。
けれど、それから約10年後にJリーグが発足。発足から8年を経て、日本はついに「ワールドカップフランス大会」への初出場を果たします。
教室の窓際で交わしたW杯の会話から、およそ20年の歳月を経て、夢が現実となったのでした。
初出場から約30年が経った今年。今や日本代表には「W杯優勝」の期待さえかかるようになりました。しかし、かつて教室でサッカーW杯を教えてくれたあの同級生は、今大会「2026北中米大会」の直前、癌によって早すぎる生涯を終えてしまいました。

大会が終わってみれば、世界の壁は厚く、優勝はまだまだ「夢のまた夢」のように遠く感じられます。それでもあと30年の歳月をかければ、サッカー日本代表のW杯優勝はきっと達成されるでしょう。
その頃、我々の多くはもうこの世にいなくても、サッカーは夢が叶う喜びを教えてくれるスポーツです。

*
「前田大然」選手と「松本山雅FC」

日本代表の最前線で走り回る「前田大然」選手の姿に、多くの日本人が心を動かされました。献身的なハードワークは、サッカーに詳しくない人の胸にも響きます。圧倒的なスピードと尽きることのないスタミナ。
かつて横浜F・マリノスでプレーしていた頃の「スキンヘッドに髭をたくわえた強面(こわもて)」の印象が強いですが、彼のJリーガーとしてのキャリアは長野県の「松本山雅FC」から始まりました。
当時の指揮官は、オリンピック代表監督も務めた「J1昇格請負人」反町康治氏です。メディアの前で事あるごとに「走り負けないチームづくり」を掲げていた姿が印象に残っています。そのハードワーク戦術において、前田大然選手はチームをJ1昇格へと導く原動力となりました。
その後、横浜F・マリノスで大ブレイクを果たして日本代表に定着。
現在はスコットランドの名門セルティックFCで、絶対的な主軸として君臨しています。
そんなビッグプレーヤーを輩出した松本山雅FCですが、現在はJ3に降格。直近の2025シーズンも15位と苦しい戦いが続きました。
長野県のサッカー界の命運は松本山雅FCが握っています。J1に昇格した頃の松本山雅FCへ、再び這い上がるための正念場が続いています。

*
「松本山雅FCを熱狂的に支える、駒ヶ根の移住者」

関西から駒ヶ根へ移住してきた知人は、松本山雅FCの熱狂的なサポーターです。
チームの遠征には必ず同行するほどのアグレッシブさで、決してサッカー部出身などではなかったはずの彼が、なぜあそこまでハマってしまったのか不思議でなりませんでした。
駒ヶ根での暮らしは借家からのスタートでしたが、地域の活動にも積極的に参加し、隣組からの信頼も厚い方でした。お子さんの成長に合わせて、住み慣れた地域の中に家を持ちたいと考えられたのでしょう。古くから暮らす方の土地を分譲してもらい新築されたことからも、いかに信頼を得る暮らしぶりだったかがうかがい知れます。
よそから移住して来たものの、地域に溶け込み、そして芽生えていった地域への愛情が「松本山雅FC」へと向かったのではないかと、私は勝手に考察しています。蓄積していく一方の彼の地域愛は、地元のサッカーチームをスタンドで熱狂的に応援するあの90分間に、エネルギーとして爆発しているような気がしてなりません。

サッカーは、心のパスを永遠に繋ぐ。

 

三六災害と自衛隊

梅雨入り前の駒ヶ根です。
私たちの伊那谷が自衛隊のお世話になったのは、昭和36年(1961年)の豪雨災害の時でした。
梅雨前線による豪雨に見舞われた伊那谷は、至る所で山体崩落や土砂災害が発生。谷を土石流が下り、民家を人命ごと飲み込み、河川の氾濫により家屋が浸水、農地はかい廃しました。死者・行方不明者130名超、家屋全半壊・流失1,500戸以上、土砂崩れ1万か所超という空前の大被害でした。
その「三六災害」の発生時に、自衛隊が出動してくれたのです。

+ 昭和36年当時の自衛隊

今から40年前のバブル期・1985年頃でさえも、自衛隊員の子供は、教壇に立つ教職員から「○○君のお父さんは憲法違反の仕事だね」などと心無い言葉を投げつけられていました。そこから25年が経過した2010年でさえも、当時の民主党政権の官房長官は、自衛隊のことを「暴力装置」と表現していたほどです。

それが戦後からまだ16年しか経過していない昭和36年(1961年)とあれば、さらには陸上自衛隊が発足してからたった7年目とあれば、日本国内における自衛隊の立場は、不安定で混沌とした時代であったはず。
果たして、昭和36年の三六災害当時、伊那谷の町村や住民は、自衛隊に対してどう接していたのか?それは長い間の疑問でした。

+ 三六災害と自衛隊

数年前、当時の中川村の消防団員として出動され、今は90歳を超えたご老人に尋ねる機会がありました。
そこで、長い間の疑問を問いかけた会話をご紹介しましょう。
…
「三六災害の時にも、自衛隊は来たのでしょうか?」
…
「おう来たよ!」
「ほいだけどなー、自衛隊も泊まらにゃいかんら?。ほいで体育館を貸せりょというやつをなー、村が断っちまったもんでなー、ずーでー、怒って帰っちまいやがって…。」

『ずーでー』は方言で、感嘆詞なので意味はありません。
英語で言うところの「OH MY …(なんてこった)」です。

体育館を貸さなかった真意は何だったのでしょう?
今は、自衛隊が宿舎に体育館を使いたいと申し出ることはしません。しかし、発足したばかりの自衛隊にとっては、現代の様な装備品や自給食などが充足していたとは到底思えず、「隊員の宿舎に、体育館を使わせてほしい」との申し出は、当時では当たり前の要望だったと思います。
「怒って帰っちまいやがって」という言葉には様々な背景が滲みます。

仮に自衛隊が本当に怒ったのだとしても、気持ちは十二分に理解できます。しかし、むしろ自衛隊以上に納得がいかなかったのは、村民の側だったのかもしれません。
村の男たちである消防団にとっては願ってもない援軍であり、婦人会のおばさんたちも、出来る限りの炊き出しや奉仕をするつもりでいたはずです。ところがあろうことか、村を出て行くと言います。
「帰っちまいやがって…」という言い方は、「悔しさ」だったように聞こえます。

昭和36年当時を調べれば、村は旧南向村と旧片桐村とで合併した3年後であり、村内の小中学校は計4校・大きな公民館2つ・さらに分校を含めた
体育館の総数は、7つを数えたと思われます。

どうであれ、中川村での宿泊を断られた自衛隊は、下伊那郡のどこかの体育館に受け入れられたようで、決して撤収してしまったわけではなく、米軍も加わって最後まで救助活動や捜索活動に従事してくれました。

+ イデオロギーが人命救助よりも優先する?

2022年9月の静岡県豪雨災害を覚えていらっしゃいますでしょうか?
当時の静岡県知事といえば、「青春時代は『毛沢東語録』をいつもポケットに入れて、暗記するほど何度も読んだ」と公言される方でした。
「リニアは静岡県にはいらない」とマスコミの前で公言し、リニア工事を拒否し続けた知事です。

2022年の台風15号による豪雨は、9月23日深夜から24日明け方にかけて静岡県内の11市町に被害をもたらしました。SNS上では危険な状況が続々と更新され、「自衛隊はなぜ来てくれない!」「静岡県知事はなぜ自衛隊を呼ばない!」といった書き込みが数日間続いていました。
内閣府は24日に静岡県内の23市町に対して災害救助法の適用を決めたにもかかわらず、知事が自衛隊に対して災害派遣の要請をしたのは、さらに2日後の26日になってからです。自衛隊は、早くから派遣要請の準備をしていたと言われています。
この災害は、死者3名、重傷者12名、浸水家屋8,950棟を出す大災害だったのでした。

左派首長による「反自衛隊」の政治思想が原因で、自衛隊との連携や防災訓練を拒否し続け、緊急を要する災害発生時に至っても初動要請が遅れた事例は、過去に複数回存在します。
人命救助が、イデオロギーに左右されない日本であってほしいと願います。

駒ヶ根の梅雨入りは例年6月早々です。今年も大きな災害が起きることなく、いつもの夏を迎えてほしいと願います。
画像転用「36災伊那谷災害復旧工事報告書/長野県土木部」よりhttps://www.pref.nagano.lg.jp/sabo/manabu/documents/36saiinadanisaigaifukyu-74.pdf
大鹿村大西山の崩落により、集落が一瞬にして飲み込まれ、43名の犠牲者を出した。捜索さえ不可能であり、犠牲者は今も地中深くに眠る。

長野県教育・ご心配無用!

ようやく水温む駒ヶ根からお伝えします。

長野県への移住は夢だけれど、左派が強いと言われる県で、子供におかしな学校教育をされやしないだろうか?
3月のニュースは、そんな不安を抱かせるきっかけになっては困ります。

3月16日、同志社国際高校の沖縄でのボート転覆・死亡事故が起こりました。「沖縄のサンゴを船上から見られる」その期待を胸に乗船させられたのは、辺野古基地反対の活動家の不法船であり、活動家と高校とを繋いでいたものは、特定の左翼思想だったと伝えられています。


+ 左派が強い長野県…教育が心配…。

「長野県民は理屈っぽい」とよく言われるのはご存じでしょうか?
選挙で左派が強いと言われる根底には、この「理屈っぽい県民性」が大きく影響していると考察しています。
田舎者であるはずの我々長野県民ですから、その本質は保守的な人ばかりなのです。ところが選挙になると、「理屈」(理想)を優先する余りに、耳障りの良い事を言う左派勢力へ投票してしまう人が多いと考えられており、決してバリバリの「左翼脳」を持った県民が多い訳ではないのです。
では、教育現場はどうでしょうか?

+「君が代」を歌えなかった伊那谷の学生

「国歌斉唱!」と初めて言われたのは、小学校5年生の地区運動会の開会式でした。しかし、周囲の大人たちに合わせて「君が代」を歌えません。すでに高学年であるにもかかわらず、小学校では一度も教えられてこなかったのです。
それは、中学校から高校へと「公立学校」を進む過程でも同様で、最後まで「君が代」を歌うことなく県内の教育を終えました。

高校卒業後、進学したての5月はショックでした。
学生寮の一年生300人によるソフトボール大会が行われた開会式で、人生2度目の「国歌斉唱!」を言われます。当然に歌えるはずもない中、全国から集まった18歳の学生たちの誰もが「君が代」を完唱しました。
「…長野県だけが『君が代』を教えないんだ…」その時、初めて気付いたのでした。

+ 教育現場を優先し、近代教育を推進する

石原東京都知事の時代に、『君が代』を歌わない公立学校の教師を批判する世論が巻き起こったことがあります。対抗するオールドメディアは、「内心の自由」を論調に持ち出します。そんなことを言い出せば学校には対立しか残りません。「長野県はこれを避けたのか…」その時に察しました。

敗戦後の「共産・左派・日教組」は、今よりも多勢で声も大きかった時代。「教育現場が荒れて悲しむのは子供たち」であることを苦慮した長野県は、「教育現場では『君が代』を封印」することで、戦後の近代教育を推し進める選択をしたのではないでしょうか?

+ 長野県教職員の実態

愛知県の教職員は、全員が日教組に加入させられると聞きました。長野県の日教組に加盟する先生は半分くらいだとお聞きします。それが多いのか、少ないのかさえわかりませんが、そのことが県内教育に偏りを生んでいるとは到底思えません。むしろ、長野県の教職員は優秀な人材ばかりを揃えている印象です。

県内教育の12年間でお一人だけ、中学校時代に、サウスポーの先生がいるにはいらっしゃいました。
授業中にもかかわらず、「私は天皇陛下には反対だ」とか、「君が代は天皇を賛美する歌なので嫌いだ」などと、つい生徒の前で言ってしまう先生でした。
田舎の無垢な子供たちでありながらも、その程度で思想に影響が及ぶはずもなく、オリンピックの「君が代」を聞いては涙を流しているシニア世代を迎えています。

思えばきっと、あの時の教職員の発言は、当時のPTAで共有されていた事だろうと思います。親同士もまた、子供の頃からよく知る間柄である地方では、情報の伝達共有がスムーズなことも、子育てには適しているのではないでしょうか。

+ まとめ

かつて「君が代を教えない」。今でも「選挙で左派が強い」等の特色は見られるものの、それらは長野県が思想的に偏った地域なのではなく、むしろ平和を優先し、理屈(理想)を最優先するDNAが宿る県民性なのだと、ご理解いただけたらと思います。
教職員の中にだって変わった人物はいるでしょうが、それは地域ぐるみで包括して教育現場を支える点においても、「長野県」は「子育て移住」にはもってこいだと思うのです。

千畳敷カールの雪形を楽しめる、5月の駒ヶ根市

 

「駒ヶ根の給食」と「都会の給食」

新学期を迎える駒ヶ根です。

小学校に上がった子供たちは、この先9年間「学校給食」を食べて大きくなります。中学校までの義務教育期間は、地域が子供たちのお昼ご飯を食べさせる。食べられる者・食べられない者の差があってはならないし、同じ食事を皆で食べる学校給食は大変有意義で当たり前だと考えますよね?
今回は、給食の観点から、駒ヶ根への子育て移住の参考になればと思います。

* 学校給食を出さない自治体!?

伺いますには、横浜市立の中学校では、ようやく2026年度から学校給食が始まるのだそうです。
長野県民にしてみたら驚天動地!じゃあ今まではどうしていたのかと尋ねると、長らく弁当だったのだそうです。
しかし都会ほど家庭環境は様々。お弁当を持ってこられない子供や、昼食代さえ持たされない子供はどうしていたのでしょうか?
それには、税収基盤の強い横浜市らしく、「セーフティネット」による支援策があったそうですが…心が通っていない印象を持ちますよね?
「食育」ってものがあるだろう?と、長野県民なら思います。
地元産の食材で作られた学校給食を、全校生徒と教師全員が食べることの大切さと、食事から学ぶ教育。

なぜ今まで、そんな状況が放置されてきたのかと不思議に思いますが、歴史的に横浜市は、「革新派(左派)」の市長が務めてきたことが、歪んだ市政に影響していたと「AI」は答えています。

** 駒っ子給食

駒ヶ根市の学校給食では、月に一回「駒っ子給食」という日があります。
食に関心を持つことを目的にして、地元産の野菜や果物を使い、季節に合わせた料理や郷土料理などを組み入れた給食です。
写真は2025年4月の駒っ子給食で、駒ヶ根市の名物の「ソースかつ」と「すずらんヨーグルト」の給食でした。お鉢のスープもただ物じゃありません。「春の山菜汁」と、山間部ならではの乙な献立となっています。(ごはん、ソースかつ、せんキャベツ、春の山菜汁、すずらんヨーグルト)

 

*** 都会の給食が気になる……

おそらく、駒ヶ根市や長野県内の給食献立てメニューは、どこもほぼ同じ内容と考えて良いでしょう。この辺りの統一感は「教育県」と言われる善い側面だと思います。
一方で、都会の給食がどうなっているのかは大変気になるところです。

下記は、渋谷区立神南小学校の給食の写真です。
渋谷駅とNHKの中間に位置し、隣接する超高級住宅街にお暮らしの御子息や、超富裕層のお子さまたちも通う小学校。
公平を期すために、こちらも昨年4月の給食メニューを取り上げましたが、まあ何と、親御様の誰もが安心する内容です(ごはん、魚の塩焼き、ごま酢和え、田舎汁、牛乳)。
そして何よりも安心したのは、駒ヶ根の給食メニューが、大都会の小学校と勝るとも劣らないことが証明された事です。

 

**** 子育てに、よその子も自分の子もない

昨年6月、福岡市の「唐揚げ1個だけ給食」のひどさが大炎上した事は、記憶に新しいところです。税収がどうの、食材高騰の煽りがこうのとの理由から、子供たちの給食が貧相な食事になるなどは、決して許されるものではありません。

もし、駒ヶ根市の給食のおかずが「唐揚げ一個だけだった」などとなれば、市民は許しちゃおかないでしょう。その一方で恐らくは、自分の子供だけにおかずを持たせることも、駒ヶ根市民・長野県民はしないと思います。
その代わりに、翌日からは、大量の米や野菜、漬物や果実。肉や魚はスーパーで買ってさえして、給食センターへ持ち込まれるでしょう。
何故って、子育てによその子も自分の子もない。そんな意識が地方にはあるからです。
学校給食から見た、駒ヶ根への子育て移住のススメ。
ご参考になれば幸いです。

「最澄」と駒ヶ根

お彼岸前の駒ヶ根です。

お墓参りに出かけた足で、お花見をしてくる方が多いとお聞きします。けれど駒ヶ根の桜は、お彼岸から更にひと月も先のお話。
ひとまずは、お彼岸に因んで、あの有名な仏教の開祖「最澄」と駒ヶ根との関わりを学んでみようと思います。

* 仏教の二大開祖として

「最澄と空海」。歴史上ではこのように、お二人は必ずセットでご登場されます。
同時代を生き、同時期に遣唐使として大陸へ渡って密教(秘伝の仏教)を授かり、そして共に日本中へ仏教を布教した僧侶であることから、それは必然なのかもしれません。
当の本人たちも、互いを良く知り、尊敬し合い、そしてライバルでもあったことは事実のようです。

** 民衆に仏教を注いだ最澄

日本の初期の仏教は朝廷や公家のものであり、寺は朝廷直轄。僧侶は高級官僚的な身分だったそうです。
「最澄」も既に名の知れた僧侶であり、いささか歳も重ねてはいましたが、朝廷からの指名を受けたため、遣唐使船に乗りこみました。

唐では用意された密教の寺で修行をし、教義を授かって帰国はしましたが、同じく帰国した空海が授かった密教にこそ、正統性があると気づいて愕然としたようです。インドの初期密教「雑密」が、唐に渡って「中密」と変化した過程で、宗派や教義も分派していたのでしょう。

しかし、間違いなく日本に渡った密教「純密」は、空海により「真言宗」、そして最澄により「天台宗」として日本に根を下ろします。
さあ、いよいよ仏教が、日本の民衆に注がれる幕が開きました。

*** 仏教を背景にした藤原氏の支配力

初期の仏教・寺院は朝廷直轄でしたから、地方のあちらこちらにお寺を建てようとなりますと、仕組みを変えなければなりません。
つまり、寺をたくさん作るには、朝廷の権力や威光を必要としますが、増え続ける寺や僧侶の面倒までは、朝廷が面倒を見続けることは出来ません。

そこで最澄は、寺の周囲に寺領・農地を与えてもらい、時給自足で寺を運営する「荘園制度」という仕組みをこしらえました。
高僧であり、遣唐使の箔も付いていた最澄にとって、当時栄華を極めていた藤原氏の権力を頼ることは容易だったと思われます。
藤原氏にとっても、災害・伝染病・飢餓といった民衆の苦しみを「仏教」の力で鎮めることを目論み、同時に仏教の普及が、一族の支配力の拡大にも使えると考えたのでしょう。

伊那谷にもそうした藤原氏の支配力を背景に、最澄による仏教が入ってくることになったのです。

**** 最澄と駒ヶ根・伊那谷

弘仁8年(817年)、京都からの玄関口である神坂峠(下伊那郡阿智村)を越え、「最澄」は信濃にもやってきました。その峠越えの険しい惨状を見兼ねて、早々に「廣拯院」(長野県下伊那郡阿智村智里園原)を建てました。「万人の救済」を説いた最澄らしく、旅人の救済目的の無料宿泊所(布施屋)だったそうです。
こうして伊那谷には、初期の天台宗(比叡山延暦寺) のお寺が次々と建てられていきました。

・弘仁7年(816年)仲仙寺(長野県伊那市)
・弘仁8年(817年) 廣拯院(長野県下伊那郡阿智村智里園原)
・天長5年(828年)長岳寺(長野県下伊那郡阿智村駒場)
・貞観2年(860年)光前寺(長野県駒ヶ根市)

我が駒ヶ根市の光前寺は、「早太郎伝説」で有名であり、駒ヶ根市の観光資源でもあります。
あの「最澄」という歴史人物がいたからこそ、こうして光前寺は今日の栄華を誇り、創建の時代背景には、藤原氏という権力者の存在が大きく関与していました。
光前寺の枝垂れ桜を見物に訪れる4月下旬、我々は最澄や藤原氏とも一本の歴史で繋がっているのだと、感慨深く思うのです。

画像:光前寺(天台宗別格本山)の枝垂れ桜

節分/現代に蔓延する邪気

節分を迎える駒ヶ根です。

皆様のご家庭では、「節分の豆まき」をされますか?
目には見えない世界を畏れ、祈祷や厄払いが生活に密着していた頃とは遠い現代。「豆まきなんて意味がない!」と、行われなくなっていく危機感が募ります。
ところが、実は現代にこそ「邪気」は広く蔓延し、邪気を払う豆まきの行事は、自分や家族の安全を守るための、大切な「魔除け」の神事、仏事です。

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「医者」に成りすます悪意と、邪気に誘われる老人たち

その方は45歳くらいの東北出身の男性でした。
不思議なほどに、彼の話し声には人を惹き付ける魔力がありました。
東北訛は出逢う人を油断させ、まるで俳優の「梅沢富雄」ではないかと錯覚するほどの、良く似た声の持ち主でした。
あまりに「健康」や「医学」の知識が豊富でしたので、場末のスナックのカウンターで尋ねてみたのです。
「以前は、医療関係のお仕事でしたか?」
その方はとても正直に答えてくれました。
先生と呼ばれる仕事をしてはいたが、それは年寄りを騙す為の、白衣姿の医療従事者の役回りだったこと。医学の知識は、その時に覚えたものに過ぎないこと。『パン一斤、もれなく無料プレゼント』等で年寄りを集客し、白衣を着た私が講演をする。
そして講演の終わりともなれば、年寄り達は何らかの契約をさせられて帰っていく。実はそんな仕事をしていたのだ、と話してくれました。

25年ほど前にも、伊那谷のあちらこちらで、この商法が繰り広げられました。
大きな空店舗が「○○ライフ」の看板にかけ替えられ、近所の年寄りを盛んに集めている光景が見らえました。
ほどなくしてこの「○○ライフ」は、マルチ商法や詐欺の疑いで倒産したことは皆様ご承知の通りです。
何かをタダで貰えるというだけで、悪意に満ちた場所へと足を踏み入れないように、「心の隙間に潜む邪気」を祓っておくことは自分への戒めです。

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「先生」と呼ばれる腹黒い邪気

都心でレストランを営む同級生に尋ねられました。
「A君が数人を伴って来店してくれたが、皆から「先生」って呼ばれてたけど、アイツは一体何の先生なのだ?」と。
以前のA君は、退職金目当ての海外リゾート会員権販売の会社をやっていた話をし、「実の所、商売の中身がとても怪しかった点。事務所を共有していた別の女社長も、これまた怪しい人物であった」等を話しました。
「先生」なんて呼ばれるのは、何かを教える立場などではなく、金を得るために「偉い人物」を演じているのだろう…と答えました。
東京都心で同級生が営むレストランで、馴染みを気取れて顔も立った。きっと、そういう巧みさも身に付けたのでしょう。
しかし、同級生と言えども、邪気に満ちた者を店に招き入れるのは「厄」が入り込む要因です。邪悪な者が入ってこない様に、お店を祓っておくことは大切なことです。

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毎日現れる邪気

悪意を持った人間は邪気を放ちます。
私たちの中に潜んでいる邪気がそれに呼応してしまい、邪悪に満ちた場所へと導かれないように、自分自身を健康な体に祓っておくことは大切なことです。
そして、悪意を持った人間が、おいそれと自宅やお店や会社に入り込まないためにも、「節分祈願」は、現代にこそ必要な行事である気がします。
毎日届く大量のフィッシングメールや、警察に成りすました詐欺電話。日本を貶めようとする悪意に満ちた政治家や偏向メディアの報道姿勢も、現代の邪気の姿でしょう。
毎日うじゃうじゃと存在する邪気から、この一年間、皆様が取り込まれてしまいませんように。平穏にお過ごし下さることを念じずにはいられません。


「大法寺」の節分厄除(駒ヶ根市上穂) 画像:駒ヶ根市役所

移住ノススメ(駒ヶ根で家を持つ)

本年も「あるぷす不動産」をよろしくお願いいたします。

「家を持ちたいのであれば、地方へ移住するしかない」
建築費の高騰は、地方移住を現実化させています。平均年収が460万円(国税庁・令和5年分)のままでは、なおさらです。
この際、2026年は移住計画元年として、家族が自然の中で暮らす未来像を描き始めてはいかがでしょうか?
そして、どうせ田舎へ移住するのなら、「長野県」は人気・実力共に、とても魅力的です。

* 九州のお医者さんから知った、日本人にとっての「長野県」

40年前、九州で医者にかかった時です。
カルテの住所を見るや否や、お医者さんは開口一番に言いました。「おっ!君は長野県から来ちょんかぇー。長野県の景色は別格やねー。ほんま、スイスにおるんかち、思うたとよ。」
「教養のある人は違うな」と思いました。九州では長野県と言われてもピンッと来ない人ばかりのようで、決まって「田舎やろ?」としか聞き返されてこなかったものでしたから。
同時に、日本人からも長野県はスイスと同一視されている事を始めて知り、驚いた瞬間でもありました。
それから10数年後、冬季オリンピック開催により、「NAGANO」は世界が知る「ブランド」になりました。

** もはや、都心近郊では家を持てない現実

とある都心近郊の住宅街では、130坪の古い家屋が取り壊されて3区画に分けられました。そこには、31坪の小さな建売り3棟が完成。よくある話です。
場所も良く、駐車スペースも1台分ありますから、「すぐに売れるだろう」誰もがそう思ったに違いありません。ところが、販売価格は驚きの8,500万円~となりました。
銀行の住宅ローン審査が通る人は、年収1,700万円以上の高所得者です。
しかも、それほどの高所得者が買える新築とはこれか…と、現実の厳しさを思い知らされます。

*** どうせ田舎に暮らすなら、「NAGANO」そして駒ヶ根

人生って、案外「あきらめ」から大きく動き出すものかもしれません。
思い返してみてください。進学先をあきらめ、就職先をあきらめ、思い通りには行かなかった先で出会った友人や恋人、趣味、妻と夫。
家を持つことが理由で都会を離れ、駒ヶ根に移住したとしても、それは心豊かな生活の始まりになるかもしれません。
「超寒い~!」と文句を言いながらも、一足先に駒ヶ根へ移住された皆様は笑顔で暮らしています。見上げる中央アルプス・南アルプスも、まだまだ年間数㎜づつ隆起して成長しているのです。この地で、家族も共に成長する未来を想像してみてはいただけませんか?
駒ヶ根はどこよりも風光明媚な上、不動産価格は県内でもリーズナブル。
たとえ「家を持つ」為に選んだ駒ヶ根だったとしも、それは楽園生活の始まりかもしれない…そんな魅力を秘めているのです。