赤穂高校甲子園出場~昭和35年~

お盆を過ぎて、朝晩の肌寒さに驚く駒ヶ根です。
さて、今年の甲子園は長野県代表の佐久長聖高校が、1回戦を勝ち上がるなどの健闘を見せてくれました。長野県代表と言えば、近年は松商学園か佐久長聖高校の2強となっているのが実情です。しかし実は、甲子園には無縁と思われている駒ヶ根市の甲子園ネタもありますのでお伝えしましょう。
昭和35年の第41回全国高校野球大会・長野大会の決勝戦。伊那市営球場で甲子園への出場を賭けて戦うチームは、我が駒ヶ根市の赤穂高校と相手は文武の名門・長野高校でした。地元チームが地元で戦う決勝戦となり、伊那市営球場は開場以来の超満員・大観衆。騒然とした一帯の雰囲気の中、当時は球場隣にあった伊那東中学校も急きょ休校にする事態に。相手の長野高校にしてみれば完全なるアウェー状態。しかも何ということでしょう!球場に入り切れず、周囲でラジオ観戦をするしか術がなかった地元ファンは、赤穂高校のピッチャー竹村君の投じる一球ごとに、乗ってきたオートバイや車のクラクションを鳴らして相手バッターを威嚇してしまう始末。熱狂的?な応援の甲斐あって、見事に赤穂高校は甲子園への初出場を手にしたのでした。
甲子園では惜しくも早稲田実業に2回戦で負けたわけですが、このように当時は、広くどの高校にも甲子園への出場チャンスがあった良い時代だったのですね。

現在では、応援で沸き返ったスタンドも取り壊された伊那市営球場