戦争の記憶「松の脂を燃料に」馬見塚公園

駒ケ根市の最南部にある馬見塚公園は桜とつつじの名所として市民に愛されています。その馬見塚公園の松には奇妙な傷痕の松を見ることができます。これは「傷痍軍松」と呼ばれているもので、幹の皮をはぎ取られ、斜めにキズ跡が残った痛々しい姿を現代の我々にも見せています。戦争も末期になるといよいよ日本は深刻な燃料不足となっていました。そこで軍部は、松脂から航空機用燃料を作ろうと松脂を採ることを国民に推奨したのです。このような傷痕を残す松は長野県の各地でも見ることができます。結局は松脂からは、とても航空機に使えるような燃料は精製できなかったそうです。終戦記念日のあった8月のトピックでした。

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ふるさとの丘 東伊那

天竜川の東岸にある東伊那地区のふるさとの丘は、長野県の「信州ふるさとの見える丘」の認定を受けたビュースポットです。
付近一帯には駒ヶ根市シルクミュージアムや全天候型グランドのアルプスドーム、そしてマレットゴルフ場などがあります。
「ふるさとの丘」は広い芝生の丘となっていて、眼下に天竜川や田園風景、駒ヶ根市街、そして中央アルプスの山々が一望できる大変美しいビュースポットです。
実は特におすすめなのが夕方から夜にかけての景色です。夕日が中央アルプスに沈み始めると、アルプスの長い稜線は紺碧のシルエットに変わります。やがて駒ヶ根市街には明かりが灯り始め、ささやかな夜景へと変化します。筆者も夕方の「ふるさとの丘」はとても好きな場所です。
画像提供駒ヶ根市役所  http://www.city.komagane.nagano.jp/

ふるさとの丘

ハッチョウトンボ南割公園

1円玉の直径ほどの小さなハッチョウトンボは、日本一小さなトンボとしても知られ、駒ヶ根市の昆虫に指定されています。
ハッチョウトンボは全国に分布するそうですが、その生息場所はごく限られ、駒ヶ根市で発見された当時もごく少数だったそうです。1989年、南割地域の湿地帯に住み着いたハッチョウトンボが発見されてからは、トンボの保護に思いを寄せる人たちによって静かに見守られてきました。その後、駒ヶ根市の南割公園に市営野球場建設の計画が持ち上がり、公園整備にともなってトンボの生息地域の湿地帯も整備されることになりました。ハッチョウトンボは市の昆虫の指定も受け生息地の保護を受けることになったのです。5月中旬から羽化が始まったハッチョウトンボは9月上旬まで赤色に変化していく様子を観察することができます。
愛好家の方がアップしたYouTUBE動画をリンクさせていただきました。どうぞご覧ください。

駒ケ根高原ウェディング

ブライダルシーズンを迎え、駒ケ根高原のホテルで結婚式のパーティーに出会いました。かつての伊那地方の結婚式と言えば、列席者がどれほど多かったかが話題の中心となるほどに、多くの親戚・友人・会社関係者などで披露宴会場を埋め尽くさんばかりの大結婚式が当たり前でした。世代が変わり、風潮も変化した現在では、派手な余興の数々や演出は姿を消し、駒ケ根高原ウェディングのようなさっぱりとした結婚式が好まれるようです。
幸いにも駒ケ根高原には、時代のニーズにマッチしたホテルやチャペルが整っており、またロケーションが抜群なことからも人気が高いスポットです。ウェディングドレスのままロープウェイで中央アルプスに登り、千畳敷カールで式を挙げてから、麓のホテルでのパーティーというスタイルも人気です。

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駒ヶ根市の花「すずらん」

昭和49年に、駒ケ根市の花は「すずらん」と制定されました。春を告げる花は様々ありますが、すずらんの花もその一つです。駒ヶ根市内では大変ポピュラーに多く見られます。暑さには弱く、冬場でも乾燥を嫌う様ですから、駒ケ根の土壌が生育にも適しているのでしょう。漢字では「鈴蘭」と書きますが、蘭の一種ではないようでユリ科だというから驚きます。いずれにせよ、気品漂う可憐な花びらは、まさに駒ヶ根を象徴する花だと思います。学校の校旗にもデザインされており、最も身近な花であることには間違いありません。さらに大多数の市民は、駒ヶ根の特産品である「すずらん牛乳」を同時に連想してしまうものです。皆、給食の牛乳として、すずらん牛乳を飲んで大きくなりました。

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こまくさの湯400万人達成!

駒ケ根高原にある日帰り温泉施設「こまくさの湯」が、来場者400万人を達成しました。駒ケ根高原一帯の温泉は、名勝光前寺の「霊犬早太郎伝説」にちなんで早太郎温泉と名付けられています。施設名の「こまくさ」とは、中央アルプスで見られる貴重な高山植物の一つです。こまくさの湯は中央アルプスを眺めながら入られる温泉として、地元の人々のみならずスキー客や観光客、さらには宿泊客の外湯としても大変人気があります。
駒ケ根高原は、中央アルプスの登山口ですから、こまくさの湯は登山の疲れを癒し、汗を洗い流す施設としても大変重要な役割を担っています。冬の極寒の時期に入湯した後は、いつまでも体がぽかぽかと温かく保たれて地元の人々には大変ありがたいお湯です。サウナもありますから、とても恵まれた施設が身近にあるものです。

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アルプスが2つ映える街

タイトルは駒ヶ根市のキャッチコピーです。2つのアルプスを見ながら生活できる事は大変に恵まれた環境で、朝に夕に、時間ごとに表情を変えてゆく山の美しさや荒あらしさに、時折心がハッと動かされながら生活をしています。
2つのアルプスなどと一言で言いますが、南アルプスは約100万年~200万年前。一方の中央アルプスは比較的最近の70万年前頃から隆起したそうです。決定的な違いはと言うと、南アルプスは“地球プレートの運動”により出来たのですが、中央アルプスは“断層の活動”により出来た山脈と、それぞれ歴史も個性もまったく異るようです。今でも、2つのアルプスは年間数ミリも隆起しているのだそうです。
今まで駒ヶ根市はアルプスを観光資源と捉えてきました。これからは不動産資源として活かせるよう、「湘南」などのように、「駒ヶ根」は2つのアルプスを望む最も風光明媚なエリアであるというブランド化に努めていかなければなりません。
駒ヶ池

 

本年もよろしくお願いします~平成28年の正月事情

暦の影響で、短いお正月だったような気がします。駒ヶ根のお正月は快晴続きで、昨年の雪中の年明けとは比べようもありません。気温も日中は10度以上にもなり、3~4月並の陽気です。暖冬に加えガソリンや灯油の値段も下がり助かる一方で、やはり冬は冬なりに気温が下がらないと困る事も多いのが長野県の実情です。暖冬の影響はすでに昨年秋から出ており、りんご「ふじ」は気温が高いまま収穫期を迎えたために蜜の入りが良くありませんでした。野沢菜漬けも気温が高いと上手く漬からないものです。深刻な駒ヶ根高原スキー場は未だに片方のゲレンデしかオープンできません。干し柿で有名なブランド「市田柿」は高森町市田を中心とした飯田市・下伊那郡の特産品なのですが、柿の収穫期と乾燥期間のバランスが合わなくなって困っているそうです。今後はより北上した寒い伊那・駒ヶ根地方が生産に適するのではないかとさえ言われています。10年、20年後の駒ヶ根はどんな様子になっているのでしょう・・・。

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南天が彩る師走

古くからのお宅では、南天の木を多く見かけます。真赤に色付いた南天の実が、鈍よりとした師走の駒ヶ根に映えています。
南天は~難を転じて福となす~に通じることから、縁起の良い木として植えられているものとばかり思っていました。そして赤い実は、食べ物の少ない冬には鳥の好物になっていいなあなどと考えていたのです。ところが、12月に実った果実は天日で乾かし、冬期の咳止めや解熱として煎じたのだそうです。さらには、お祝い事に食べるお赤飯。昔のお赤飯には、ひと片の葉が添えられていた記憶がありますね?あの葉の正体は南天の葉だったのです。南天の葉には「ナンニジン」という成分が含まれており、お赤飯の腐敗を抑える作用がありました。昔の人には敵いません。縁起物でもあり、生薬でもあり、防腐剤でもある「南天」。どうりで、どのお宅にも植わっている訳です。 ????皆さま、良いお年をお迎えください。

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日帰りバスツアーが減った理由

例年よりは、少し冬への足踏みが鈍い年のように感じますが、山々は真赤に燃えて紅葉の最盛期となっています。
しかし駒ヶ根へは近年、特に東京方面からの日帰りバスツアーが激減してしまいました。皆さまご存知の通り、高速ツアーバスの大事故後にバスドライバーの労働時間が厳しく制限されるようになりました。それが大きく影響しているのです。地理上、新制度の元では首都圏と駒ヶ根の距離は、一人のドライバーで往復可能な目的観光地からはみ出てしまうのです。そのため制度の影響をモロに食らい、バスによる団体客の激減という状況に頭を悩ませているのです。四半期ごとの地元の経済指数には、「中央アルプスロープウェイの乗客数」が景気指数とされているのですが、数字は悪化の一途です。多様化の時代、登山を楽しまれる方は本当に多いですし、サイクリングやオートバイ等‥皆さま様々な余暇のスタイルをお持ちです。駒ヶ根は、懐の深い集客地へと転換を図る時代を迎えています。

仙丈中沢