中沢のお米

梅雨時期の水田には、絶え間なく雨の波紋が広がる駒ヶ根です。

田舎と言えども田んぼを持たない家は多数あります。現代ではお米は作るより買った方が安い位ですが、これが昔の話となりますと別のようです。田植えが終わった今回のブログでは、田んぼのない家に育った建築会社の社長さんからお聞きしたお米に関する思い出話をご紹介しましょう。
社長さんの家は旧伊那町(伊那市)にあって、田んぼが無い家でしたので、戦中から戦後の田んぼが無い辛さは身に染みているそうです。そんな子供の頃の思い出に「中沢のお米」が強く残っています。
「子供を手伝いに来させるように」との連絡が中沢村(駒ヶ根市中沢)の親戚農家から入ることがありました。すると自分が手伝いに行かされる訳ですが、早朝から出発して自転車を押しては火山峠を越えて行きます。一日を終え夕方になると、今度はタイヤがへこんでしまう程の沢山のお米を自転車の荷台に乗せられて、また火山峠を戻ってきたのだそうです。子供にとっては過酷な一日ですから思い出も強烈なのでしょうが、社長さんは回想します…「今思えば中沢の親戚にしても、小さな子供の労働力などを期待していたとは思えず、『手伝いに来させろ』とは単なる口実で、子供が一日手伝ってくれたお礼という理由を付けて、お米をあげるのが目的だったんだな。」
大人になった社長さんは建築業で成功を収めました。あちらこちらの土地を買ってしまう土地への執着心は、田んぼが無かった辛さがそうさせてしまうのだそうです。伊那の社長さんと「中沢のお米」の話でした。

アルプスに沈む夕陽を映す中沢の田んぼ