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(サッカーW杯を教えてくれた同級生)
高校生だった1980年頃のサッカーは極めてマイナーなスポーツで、サッカー部が女子にモテることもありませんでした。
仲の良かったサッカー部の同級生が、「今日からワールドカップが始まるもんで、夜は寝れんのよー」と言います。その時初めて、サッカーに「ワールドカップ」という大会があることを知ったほど、世間も静まり返っていた時代です。
「日本は出場するのか?」と尋ねると、「それは夢のまた夢」と彼は答えました。
けれど、それから約10年後にJリーグが発足。発足から8年を経て、日本はついに「ワールドカップフランス大会」への初出場を果たします。
教室の窓際で交わしたW杯の会話から、およそ20年の歳月を経て、夢が現実となったのでした。
初出場から約30年が経った今年。今や日本代表には「W杯優勝」の期待さえかかるようになりました。しかし、かつて教室でサッカーW杯を教えてくれたあの同級生は、今大会「2026北中米大会」の直前、癌によって早すぎる生涯を終えてしまいました。
大会が終わってみれば、世界の壁は厚く、優勝はまだまだ「夢のまた夢」のように遠く感じられます。それでもあと30年の歳月をかければ、サッカー日本代表のW杯優勝はきっと達成されるでしょう。
その頃、我々の多くはもうこの世にいなくても、サッカーは夢が叶う喜びを教えてくれるスポーツです。
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「前田大然」選手と「松本山雅FC」
日本代表の最前線で走り回る「前田大然」選手の姿に、多くの日本人が心を動かされました。献身的なハードワークは、サッカーに詳しくない人の胸にも響きます。圧倒的なスピードと尽きることのないスタミナ。
かつて横浜F・マリノスでプレーしていた頃の「スキンヘッドに髭をたくわえた強面(こわもて)」の印象が強いですが、彼のJリーガーとしてのキャリアは長野県の「松本山雅FC」から始まりました。
当時の指揮官は、オリンピック代表監督も務めた「J1昇格請負人」反町康治氏です。メディアの前で事あるごとに「走り負けないチームづくり」を掲げていた姿が印象に残っています。そのハードワーク戦術において、前田大然選手はチームをJ1昇格へと導く原動力となりました。
その後、横浜F・マリノスで大ブレイクを果たして日本代表に定着。
現在はスコットランドの名門セルティックFCで、絶対的な主軸として君臨しています。
そんなビッグプレーヤーを輩出した松本山雅FCですが、現在はJ3に降格。直近の2025シーズンも15位と苦しい戦いが続きました。
長野県のサッカー界の命運は松本山雅FCが握っています。J1に昇格した頃の松本山雅FCへ、再び這い上がるための正念場が続いています。
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「松本山雅FCを熱狂的に支える、駒ヶ根の移住者」
関西から駒ヶ根へ移住してきた知人は、松本山雅FCの熱狂的なサポーターです。
チームの遠征には必ず同行するほどのアグレッシブさで、決してサッカー部出身などではなかったはずの彼が、なぜあそこまでハマってしまったのか不思議でなりませんでした。
駒ヶ根での暮らしは借家からのスタートでしたが、地域の活動にも積極的に参加し、隣組からの信頼も厚い方でした。お子さんの成長に合わせて、住み慣れた地域の中に家を持ちたいと考えられたのでしょう。古くから暮らす方の土地を分譲してもらい新築されたことからも、いかに信頼を得る暮らしぶりだったかがうかがい知れます。
よそから移住して来たものの、地域に溶け込み、そして芽生えていった地域への愛情が「松本山雅FC」へと向かったのではないかと、私は勝手に考察しています。蓄積していく一方の彼の地域愛は、地元のサッカーチームをスタンドで熱狂的に応援するあの90分間に、エネルギーとして爆発しているような気がしてなりません。

前田大然/自伝
がむしゃら なぜ俺は、こんなに走るのか——。
(定価 1,760円税込み) 幻冬舎より
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