プロ野球選手

今年も、あるぷす不動産をよろしくお願いします。

昨年末、一人のプロ野球選手がひっそりと引退をしました。横浜DeNAベイスターズ百瀬大樹内野手。松本第一高校からドラフト6位で入団した長野県の選手です。横浜球団らしく、かつての「スーパーカートリオ」を彷彿とさせるような俊足を買われてのドラフト指名でしたが、2020年をもって契約外となってしまいました。同郷で長野県のアイドル・松商学園出身の上田佳範コーチと共に横浜スタジアムに立った姿には熱いものがこみ上げました。夢を見させてもらってありがとう!

さて、駒ヶ根出身のプロ野球選手をお話する良い機会になりました。今回は偉大な彼を振り返っておきましょう。
「川島正幸」元ロッテオリオンズ外野手。赤穂中学校から松商学園に進み、2度の甲子園出場。1977年ドラフト4位で当時のロッテオリオンズに入団し、市民県民の星となりました。
2軍ではズバ抜けた長打力が花開き、イースタンリーグのホームラン王を獲得して1軍への切符を手にします。今は無き川崎球場で、あの落合選手と共にプレーをしていたのです。
しかしプロの世界とは厳しいもの。稀代のスラッガーでさえも、なかなか1軍に定着することは出来ませんでした。惜しまれながらもプロ生活7年間を終え、引退となったのです。

地方のプロ野球中継とはテレビもラジオも巨人戦…。当時にロッテの試合などが見られるはずもありません。そんな中、全試合が雨で流れた日がありました。ラジオ中継の代替番組中『ロッテの2軍選手寮では…川島選手は甘い玉子焼きが好きで…』と流れた事がありました。本来ならばど~でも良い内容ですが、川島選手の話題がラジオで流れた!と小躍りしたものです。

引退後は駒ヶ根に戻り、少年野球の指導に力を入れていらっしゃいます。早起き野球にも登場されましたので、多くのメンバーは彼の凄さをまざまざと知っています。
川島選手が打席に立つと「そこまで下がるか!?」という程に、草野球ではありえない深さまで外野手は下がります。それでもさすがは川島選手!。打ち損じたフライでも、その深さまでボールを飛ばすのです。「ああ、これがプロ野球選手というものか…」と心から感嘆する光景でした。我々凡人とは天地ほど異なる才能なのです。

地方出身のプロ野球選手は、たった一人で地元の人々に活力を与え、勇気を与えられる特別な存在です。そして野球少年たちの希望の星です。
いつの日にかまた駒ヶ根からプロ野球選手が生まれる、そんな時代を待ちましょう!

画像:川島氏が監督/駒ヶ根リトルシニアFaccebookより
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