感謝の祈り

昨年の春頃でしたでしょうか。佐久へ出張に向かう途中の、とある街道沿いでの光景です。
信号待ちで停車した交差点には老婆が立っていて、信号を渡るわけでもなく、大きな買い物袋を手に抱えたまま、何やらどこかに向かって合掌をしている光景に出くわしました。
信仰心深く祈りを捧げる方角の50m先には、何百年とそこに存在しているであろう街道沿いの「お堂」が現れます。先ほどの交差点からお堂へは、老婆にとっては長い距離です。重い買い物袋を提げたままで往来の激しい国道を渡り、また引き返して来なくてはならないのです。
きっといつもこうして、交差点を渡ることなくしばし合掌を捧げた後に、お堂とは反対方向へと帰っていくのでしょう。

「きっと一人暮らしなのだろう」とは察しがつくものです。
しかしその安らかな敬虔な祈りの所作には、お願い事などでは決して無い祈り、何かに深く「感謝」している祈りのみが発するオーラと美しさがありました。
一人暮らしを嘆くわけでもなく、買い物に歩く辛さを恨むわけでもなく。長生きに感謝しているのか、はたまた離れて暮らす孫の就職が決まったことに感謝しているのか…とにかく『感謝の祈り』だということは強く伝わってくる光景でした。

2度目の緊急事態宣言の今、人々の置かれる境遇が厳しさを増しています。するとどうしても他人を非難したり、人の責任にしたり、他人の豊かさを恨んだり、全体主義思想が台頭したりしてきます。
明日を生きられなくなり、自殺してしまうニュースも耳に入ります。
あの日見かけた信仰心溢れる老婆は、今の私たちに何を語りかけるでしょう?
突然、私の脳裏にあの老婆が現れたのは「私を真似てみなさい」と教えに来てくれたのかもしれません。皆さんも一緒にやってみませんか?
今日できる感謝はたくさんあります。
大切な家族を病気から救ってくれてありがとう。
今日も三度の食事が出来てありがとう。
今日もアルプスがきれいだね、ありがとう。
駒ヶ根に暮らせてありがとう。
立春を越えました。春は必ず訪れます。