陣馬形山キャンプ場・南アルプス展望台

次男として駒ヶ根に生まれ、高校を卒業すると大学進学を期に上京した叔父がおりました。
陣馬形山へはわざわざ連れてきたわけではなく、ゴールデンウィークに家族じゅうで帰省してきたので、皆で「タラの芽」を採りながら山頂付近へと辿り着いたのでした。この脇道を入れば頂上尾根の「キャンプ場」という入口の少し先に展望スペースがあります。

Googleマップには「南アルプス展望台」などと書かれてはいますが、別段そんな立派なものではなく、簡単な丸太のベンチが備え付けてあるだけの場所です。おそらくは眼下に広がる、昭和45年に開拓された公共牧場の家畜小屋か、看舎の跡地なのでしょう。
それでもここから見渡す南アルプス山脈の眺望は素晴らしく、切り立つ3,000m級の峰々もさることながら、幾重にも連なる手前の深山も見事な光景で、しばし言葉を失います。さらには人々が暮らす伊那谷とは尾根を挟んだ反対側の為、騒音は一切なく、山間を渡る風の音しか耳に入るものはありません。

丸太のベンチに腰掛け、その景色にいたく感動する叔父は大きな息を吐きました。長い間勤め上げた都内の会社をその春に定年退職したばかりだった為、まるで山を通る風が自分の心の中をも吹き抜けたかのような感覚だったのでしょう。
18歳で故郷を離れて以来50年近く、生家の近くにはこんな景色が広がっていたことさえ知らなかったことを、少し後悔しているような背中にも見えました。
ほどなく叔父には癌が見つかり、憧れた定年後の田舎暮らしを謳歌することなく、瞬く間に逝ってしまったのです。

「天空のキャンプ場」の愛称で知られる陣馬形山キャンプ場は、年間1万人のキャンパーが訪れる有名キャンプ場です。そんな賑わいが間もなく始まる、雪解けしたばかりの静かな季節にこの展望場所を訪れると、あの時の叔父の気持ちに寄り添える気がします。
ひとりでも多く、皆様の田舎暮らしの夢が叶えられます様に。


陣馬形山キャンプ場・南アルプス展望台より望む秋の仙丈ヶ岳・鋸岳