「鉄道の日」共楽園のD51

紅葉が始まった駒ヶ根です。
10月14日は「鉄道の日」、新橋~横浜間に鉄道が開通してから今年は節目の150年となります。駒ヶ根市最北にある公園「共楽園」に展示してある蒸気機関車「D51」について思いを寄せてみましょう。

この蒸気機関車は決して「飯田線」を走っていたわけではありません。もともと飯田線は「伊那電気鉄道」という名の私鉄であり、直結していた豊橋までの私鉄3社と合わせて戦時中に国有化されたのが飯田線です。そんな背景から蒸気機関車が飯田線で運用された記録は無いようです。

さて、共楽園の蒸気機関車の鼻先の銘板には「D51 837」と刻印されています。
D51は日本で一番大きな蒸気機関車で、最も多く製造された機種です。そして、その837番目に製造されたという車歴を意味しています。
この837番車は1943年度製で、国鉄鷹取工場(兵庫県神戸市)で製造されたことがわかります。大東亜戦争真っ只中の1943年は、南太平洋での戦況が悪化していた頃。そんな時代にこの機関車は生まれました。

岡山へ配置されてからは「伯備線」、つまり山陰地方をタテに縦断しながら走っていたのでしょう。のちに山口へ配置換えされてからは「山陽本線」で活躍したそうです。そして1974年に引退。その年のうちに、見知らぬ土地ではあったものの、ここ駒ヶ根に安住の地を与えられてやって来ました。

1970年代は、引退した蒸気機関車が国鉄から全国の自治体へ無償で譲渡された時代でした。戦時中に大量生産されたこともあり、国鉄が所有する蒸気機関車は1,115両に達していたと言われます。国鉄はそれら機関車の処分を免れると共に、一方で全国の街では喜んで蒸気機関車を譲り受けたのだろうと思います。駒ヶ根、伊那、飯田、諏訪、岡谷、茅野…近隣の街にも必ず、どこかに蒸気機関車が保存されています。

シンボルだったり、子供たちの遊具だったりといった引退後の役割は果たしたものの、あれから50年を迎えようとしています。実物保存にはメンテナンスが必須で、予算と覚悟も必要です。多くの自治体では、今や「公園の蒸気機関車」はお荷物だと言われ、解体するにも2,000万円の費用が掛かると言われます。共楽園のD51はペンキ補修が行われてはいますが、あの眩しかった「デゴイチ」も、年月と共に朽ちゆく姿は否めません。各地の朽ち行く機関車を見るのは悲しいものです。かつて逞しく強かったはずの姿からは、声なき声を発しているような錯覚を覚えます。将来駒ヶ根市も、決断を迫られる日を迎えるのでしょうか。

画像/駒ヶ根市・共楽園に展示中のD51(837)