小平奈緒選手の引退と伊那谷スケート

紅葉が燃え盛る駒ヶ根です。
去る10月下旬、スピードスケート冬季五輪の金メダリスト小平奈緒選手が引退しました。
他を寄せ付けない圧巻のスピードで全日本女子500mを優勝した姿からすれば、「引退する必要があるのか?」と、誰もが思うほどの強さと速さ・完成された美しさでした。

小平選手は中学~高校にかけて、名コーチである新谷純夫氏(宮田村)に師事しました。ご自宅へ下宿をし、伊那西高校へ通っていたものですから、伊那谷の人々は地元の選手とさえ思っています。新谷氏は2010年バンクーバー五輪に出場した新谷志保美さんのお父様でもあります。それほどまでに、かつての伊那谷にはスケートが根付いており、新谷コーチほどの名伯楽さえも存在したという事実です。

冬のシーズンを迎えると、「小平奈緒」選手の名前はニュースや新聞紙面を賑わし、ついにオリンピックの金メダリストにまで昇り詰めました。子供の頃から打ち込んできたことが開花することはあっても、世界で1番を取れる人など存在し得ません。そんな小平選手が引退するのですから事は重大に決まっています。しかし伊那谷の人々にとって小平選手の引退は、「伊那谷のスケートよ、さようなら」そんな歴史の終わりを印象付ける様な出来事だったように思えます。

昭和55年位までの伊那谷には、至る所に田んぼのリンクが存在し、どこの小学校でも「スケート大会」を行っていたほどでした。身近なスケートですから、小学生ともなれば子供という子供全員が親からスケート靴を履かされ、田んぼの氷の上に立たされたものです。
当時、飯島町の千人塚スケート場は憧れの天然スケートリンクで、湖上に2面作られたリンクには埋め尽くさんばかりの老若男女が集まり、伊那バスは「千人塚行き」の定期便を数多く運行させていました。あんなに身近で楽しかったスケートだったのに、天然リンクが出来なくなった伊那谷にとってはもう遠い過去の記憶遺産です。自分がしてもらったように、子供や孫へスケート靴を履かせる光景を見ることはありません。

それでも、冬になれば小平選手がスケートで活躍するニュースは、伊那谷の人々とスケートとを結び続けていたのです。それがいよいよ引退してしまいました。最強で唯一の誇れる伊那谷スケーターがいなくなってしまった瞬間、伊那谷のスケートはとうとう想い出の中へ、図書館の歴史書の中へと旅立った気がします。
再び世界を駆けるスケーターが伊那谷から誕生しますように…。
画像/千人塚センターハウスに展示中のパネルより https://www.senninzuka.site/