2023年のゴールデンウィークで賑わった駒ヶ根です。
過去の忌まわしい自粛期間を脱却し、例年の賑やかさを取り戻しました。5月3日には、4年ぶりに「馬見塚のお祭り」が行われています。
正しく言えば、「馬見塚公園内にある、蚕玉神社の例大祭」となるでしょうか。駒ヶ根では昔から有名なお祭りのひとつであり、通称「馬見塚のお祭り」として親しまれてきました。昔は飯田線も、お祭り用の「臨時列車」を駒ヶ根駅~伊那福岡駅間で運行させたと聞いています。それほどまでの大祭であった理由は大きく2つあったと考えられます。
その一つは「お蚕様(おかいこさま)」です。伊那谷は養蚕が盛んで、農家の重要な収入源でした。そんな時代に広がったのが、蚕玉大神(こだまおおかみ)を祀る信仰です。現金収入をもたらすお蚕の神様として、信仰の中心となったのが馬見塚公園の「蚕玉神社」です。
コロナ禍以前の5月3日の例大祭では、獅子舞による神楽奉納や吹奏楽部の演奏、お菓子投げなどが行われ、露店もいくつか並んでいました。もっと以前では、相撲大会なども行われていました。
古くからこの一帯は「馬見塚」と呼ばれていたようで、その理由は、朝廷に献上する馬の飼育牧場地だったとされます。目印となる「塚」があったとか、馬のお墓の塚があったとかの理由が伝わっていますが、今となっては定かではありません。余談ですが、馬見塚公園から南へ500メートルほどに「馬住ヶ原」という、野球グランドが目印の場所がありますが、ここまでが牧場地一帯だったとすれば何と広大な牧場だったのでしょう。
さて、馬見塚公園のため池は、明治7年に完成した灌漑用のため池です。東側に広がる「南の原」地籍一帯の水田を開墾するには必須の池であり、しかも長い年月を要して完成した念願のため池です。完成時の歓びは現代人では想像もできないほどの大きさだったと思われます。
念願叶った当時の地元青年会が中心となり、ため池周辺を運動場としても整備することにしました。池を周回する競技グランドや相撲土俵、弓道場などを整備。そして草木を植栽するなどして、今で言う「総合運動公園」を、自らの手で造ったのです。お祭りが盛大だった理由の2つ目はここにあるようです。
当時としては画期的な運動施設を備えた公園整備を行い、人々が集る場所であったこと、そして信仰を集める中心の場所であったこと。「馬見塚のお祭り」が盛大だった理由とは、これら2つの背景があったことを知っておくべきでしょう。
最後に、蚕玉神社の御祭神の「蚕玉様」とはどんな神様なのかを知っておきたいと思います。
京都に木嶋神社(このしまじんじゃ)という、柱が三本ある鳥居で有名な神社があります。本殿の東隣には、蚕養神社(こがいじんじゃ)が鎮座していることから、木嶋神社は「蚕の社」とも呼ばれています。
この蚕養神社は、渡来系の秦氏がもたらした養蚕・機織・染色技術に起因すると考えられており、御祭神は「木花咲耶姫命(このはなのさくやひめ)」です。
木花咲耶姫とは、山の神である大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で絶世の美女であったと伝わっています。「桜」の美しさと、やがて散る儚さを象徴する美しい女神であり、また『竹取物語』の「かぐや姫」のモデルともされています。後に、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と結婚。子授け安産や農業・漁業にご利益があり、蚕の神様として信仰されています。馬見塚の蚕玉様とは、この蚕養神社から勧請した蚕玉大神=木花咲耶姫命という女性の神様だったのです。
まるでそれを象徴するかの様に、ここ馬見塚公園は駒ヶ根の桜の名所であり、同時につつじが咲き誇り、そして池の湖面には宝剣岳を映し出すという、真に女性らしさをたたえた美しい公園です。
馬見塚公園(奥に蚕玉神社がある)
画像/駒ヶ根観光ガイドより http://www.kankou-komagane.com/