終戦の日・共楽園の「忠魂碑」

20年ほど前です。アメリカの空港で搭乗待ちをしていると、何やら拍手が起こり、徐々にそれが近づいて来ます。目をやりますと、丸刈りにしたあどけなさが残る若者たちの列を、空港職員が小さな星条旗を掲げて引率しています。それは軍に入隊するために地元を旅立つ若者たちで、周囲の誰もがスタンディングオベーションで見送る光景でした。

数年前の双葉サービスエリアです。
深夜の帰宅途中、トイレ休憩を済ませていると、自衛隊のトラック数台の車列が入ってきました。
隊員を運ぶトラックのようですが、さぞかし乗り心地も最悪でしょう。疲れた様子の隊員たちは、全員が物静かにトイレを利用していました。
大人数の移動なので、無意味な批判を避けようと、あえて深夜に移動しているのだと直感しました。とても申し訳なく思ったものです。

さて、8月15日は「終戦の日」です。
あれだけの大戦でしたから、戦争で亡くなった人は皆様の身近にきっといるはずです。しかし戦後から78年、史実の風化も加速しています。父方や母方を辿れば、軍人や徴兵で亡くなれた方。戦禍によって命を落とされた女学生や民間人。満州から帰国できた婦女子、帰れなかった一家。いかに戦争とは悲惨かを学び、平和の尊さに感謝しなくてはいけません。

さて、平和の礎となられた方々へ感謝の心を捧げたくても、「靖国神社」へは駒ヶ根からはあまりに遠いものです。しかし、各都道府県には「護国神社」というものがあります。靖国神社同様に、日本国のために殉難した人の霊をお祀りしている神社です。
長野県は、松本市の信州大学隣にある「長野懸護國神社」がそれであり、駒ヶ根からはクルマで1時間ちょっとで行かれます。

また、駒ヶ根市北町の「共楽園」には、木立の中に「忠魂碑」というモニュメントがあります。これは旧赤穂村から出征し、戦場で還らぬ人となってしまった軍人方々の慰霊碑です。お参り場所ではありませんが、鎮魂の一礼を捧げる人は数多くいます。
石碑に刻まれた人々は、人生を戦地で終えられた方ばかりです。私たちの様に、病院のベットで家族に看取られながら終える生涯ではありません。明日なき戦場で怖くなかったのだろうか?きっと、故郷の駒ヶ根に戦禍を波及させない為、駒ヶ根に暮らす父母兄弟や妻子に平和な暮らしをさせる為に、今、俺が、この地で頑張ろうとする必死さが、戦場での恐怖を打ち消していたのでしょう。
平和を勝ち取るために命を差し出した先人を踏み台にして、私たちはボケーっと暮らしていることを学び直します。

そして今の時代にも、平和を守るためなら命を差し出さん覚悟の自衛隊員がいて、しかも災害だと言われれば寝食も取らずに任務を遂行し、移動するにも国民に遠慮をして、深夜ひっそりと行動する。
優先的に圧遇される米国軍人と対照的な自衛隊員。
日本の在り方を学ぶ終戦の日でもあります。

木立の中の「忠魂碑」共楽園