「夏の水難事故」と「14歳の厄」

(14歳の天竜川の記憶)

50年近くも昔の話。14歳だった中学生の夏、友人たちと天竜川で川遊びをすることになりました。
思い思いが川遊びをする中、私は川の真ん中を目指しています。しかし、流れに耐えられない限界は突然に訪れました。直前の一歩までは何事もなかったのに、この瞬間から終わりです。

仲間には流されることを告げようとしましたが誰も気づいてはいません。ザーザーと流れる天竜川の轟音に、大声もかき消されて届きませんでした。
すでに身体は天竜川の一部と化し、遊び場所だった橋の下はみるみる遠ざかります。想像をはるかに超える水流の勢いは想定外でした。
700メートルほど流された頃、運よく川岸へ向かう流れに乗ります。
「ここで助かりそうだ!」。河川と堤防の間には、無数のテトラポッドが並んでいます。必死に腕を伸ばし、指先をコンクリートに引っ掛かけ、ようやく難を逃れたのでした。
友達の弟が、猛ダッシュで自転車を漕いでやって来るのが初めて目に入りました。小学生にもかかわらず、必死で追いかけて来るではありませんか!あの時は本当にありがとう。

(14歳は偶然ではない)

夏になると、必ず水難事故が起こります。
日本財団などの水難事故調査の統計では、子供の水難事故の年齢別ピークは「7歳」と「14歳」に集中していることが分かっています。
現代の水難事故は安全管理上の問題、つまり「体力を過信し、行動範囲が広がったことによる無謀な行動」が主な原因と片付けられがちです。

しかし、この「7歳」と「14歳」という年齢には明確な意味があります。
「7歳までは神のうち」とされる幼少期を過ぎ、かつての成人式であった「14歳の元服」を迎えるまでの間、それは、子供でも大人でもない年代です。
古来より民俗学や地域信仰では、この変化の渦中にある男子には「魔が入りやすく、災いに遭いやすい」と考えられてきました。
中でも、子供の終わりの境界線である「14歳の厄(数え年15歳)」は別格です。大人の厄年(男性25歳・42歳・61歳)の影に隠れがちですが、実は人生で最初にして「最も命の危険が大きい厄年」として、古くは非常に恐れられていたのです。

(水辺はあの世との境界)

民俗信仰や精神世界において、「水辺」とは=「この世とあの世」の境界空間です。そして魔物に引っ張られる少年たちもまた、「子供と大人の境界にいる、不安定な存在」なのです。
不安定な少年が境界の空間に近づくと、あの世の力に引っ張られやすいという恐怖や畏怖が日本人の精神にはありました。
お年寄りから「お盆を過ぎたら川へ行っちゃァいかんぞ!」と言われた記憶をお持ちではありませんか?。
お盆を過ぎると霊たちはあの世へ帰って行きますが、供養を受けられなかった無縁仏たちが、妬ましさから子供を連れていこうとするのだと信じられていたのです。

(日本人の精神文化は知恵である)

冒頭の経験からもわかる通り、元気でエネルギーに満ちた少年が、いとも容易く不慮の水死を遂げるという悲劇は、古代から繰り返されてきたことでしょう。
突然、水辺から我が子が消えてしまう。当時では死体さえ戻らない悲しみを「神様が連れていった」と神道的に解釈しながら、人々は絶望を乗り越えて生きてきたとも言えます。

もしあの時、私が天竜川で命を落としていたら、両親の人生にはどう影響したことでしょう。一緒だった友達にも、消えない心の傷を残したに違いありません。とは言え、あの時川の中へ足を進めたスリルや探求心は、中学生の男子にとっては決して「無謀」の一言では片付けられない、抗いがたい衝動だったとも思えます。

であればこそ、私たち日本人が畏れてきた「14歳の厄」という精神文化を再認識しておくべきではないでしょうか?
「魔が入りやすく、災いに遭いやすい」年齢であることを知っていればこそ、防げる事故もある。そして、「あの世の力は存在する」と畏怖の念を抱いておくことは、現代を生きる人間にとっても決して損ではないのです。

中央アルプス眼下を、蛇行しながら流れる急流「天竜川」