長野県縦断駅伝

11月の下旬は恒例の県駅伝が行われます。昭和27年から60数年続くこの大会は、長野県の市や郡ごとにチームを編成し、広い長野県を2日間に渡り北から南へ一本の襷を繋ぐ駅伝です。
大会の2日目になりますと、伊那市・駒ヶ根市を中心とした我らが「上伊那(かみいな)チーム」は、いよいよ地元の上伊那郡を駆け抜けます。
大会の半数以上に及ぶ33回の圧倒的な最多優勝回数を誇る強豪「上伊那チーム」が地元を通過するとあって、中継所には沢山の地元応援団が集まり人だかりとなります。
こんな土地柄ですから、地元で有望な足の速い子供は親元を離れ「佐久長聖高校・陸上部」へ進学するのが現代のエリートコースとなっています。
11月下旬、恒例の長野県縦断駅伝が行われました。昭和27年から60数年続くこの大会は、県内の市や郡ごとにチームを編成し、広い長野県を2日間に渡り北から南へと一本の襷を繋ぎます。大会の2日目、伊那市/駒ヶ根市を中心とした我が「上伊那チーム」が、いよいよ地元の上伊那郡内を駆け抜けます。歴史の半数以上に及ぶ33回の最多優勝を誇る強豪チームが地元を通過するとあって、中継所には沢山の地元応援団が集まりやんやの大声援を送ります。おかげさまで、今年は9年ぶりの優勝を飾り、優勝記録を34回へと更新しました。長野県で「縦断駅伝の選手」であることは、ご想像以上に大変な栄誉です。駅伝好きな土地柄で育った有望な足の速い子供は、高校進学を機に親元を離れて積極的に県内外の強豪校へ進学する時代となっています。
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秋燃ゆる

ホテルやロープウェイ、温泉宿などの観光業はトップシーズンを迎えています。しかし、せっかくの紅葉シーズンにもかかわらず、週末と言えば悪天候ばかりの秋となっていて観光客の方々にとっては残念な年だと思います。
駒ケ根も朝晩はすっかり寒さを感じるようになり、暖房が必要な季節を迎えました。先日の11月3日の朝には宝剣岳の初冠雪を麓からも観測できました。冷たい雨だと思っていましたが、山頂付近は雪だったようです。
こうなるとスキーヤーはウズウズし始め、スタッドレスタイヤの準備に入ります。
山も麓も、木々は赤や黄色の思い思いの色付きを経てから、燃え尽きたように日々葉を散らせています。
味覚ではりんごが最盛期、新蕎麦はいよいよこれから食べられます。きのこ狩りもいよいよこれからが本番です。
山も麓も、木々が赤や黄色の思い思いの色付きを経てから、燃え尽きたように葉を散らせています。ホテルやロープウェイ、温泉宿などの観光業は秋のトップシーズンのラストスパートなのですが、景気の低迷もあってか何となく出足がすぐれない様に聞いています。しかも、せっかくの紅葉シーズンにもかかわらず、今年は週末と言えば悪天候ばかりで、せっかくお越しになった観光客の方々には申し訳なく、同情いたします。
駒ケ根も朝晩はすっかり寒さを感じるようになり、暖房が必要な季節を迎えました。先日の11月3日の朝には宝剣岳の初冠雪を麓からも観測できました。前日は冷たい雨だと思っていましたが、山頂付近は雪だったようです。今一番盛り上がっているのはスキーヤーでして、この初雪でウズウズし始め、スタッドレスタイヤや用具の準備などを始めています。
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牙をむいた霊峰

「御嶽山」より「御岳山」の表示が長野県では一般的ですので、「御嶽山」というマスコミ表現にはとても違和感を感じました。「嶽」が持つ文字の恐ろしさから「岳」を地元の人々は親しみを込めて使うのではないかと思います。
駒ヶ根市と御岳山は直線距離では40Km ほどなので細かな降灰もありましたが、春に中国大陸からやってくる黄砂に比べれば大したことではありませんでした。
隣町の山岳ガイドの山本さんや、山岳写真家の津野さんも被災されましたが幸いなことにいずれもご無事で帰還されました。しかし多くの命が霊峰に奪われ、信仰の山とはなんなんだ?とやるせない気持ちでいっぱいです。
駒ヶ根市から御岳山は、中央アルプスの向こう側にあるため望めませんが、中央アルプスの頂上峰に立つと、木曽谷遠くに雄姿を現す御岳山は疲れを癒してねぎらってくれる存在です。
10数年前に伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルが出来てからは、御岳山は登山者以外にも急速に身近なお山になりました。多くのスキーヤーが春遅くまでスキーを楽しむ山ですし、行楽先として人気です。
開田高原から望む御岳山はまさに信仰の山の如く合掌をしてしまう圧倒感があります。自然の猛威に立ちすくむ人間の小ささを身近に痛感する出来事でした。
マスコミ表現の「御嶽山」より「御岳山」の方が地元では一般的です。「嶽」が持つ文字の恐ろしさより、「岳」の文字を親しみを込めて地元では使うのではないでしょうか。
駒ヶ根市と御岳山は直線距離にして40Km ほど。細かな降灰もありましたが、中国大陸からやってくる黄砂に比べれば大したことではありませんでした。地元では山岳ガイドの山本さんや、山岳写真家の津野さんが被災をされましたが幸いにもご無事でいずれも帰還されました。しかし多くの命が霊峰に奪われ、信仰の山がこういう事をするのか?とやるせない気持ちでいっぱいです。
駒ヶ根市から御岳山は中央アルプスに阻まれ望めませんが、10数年前に木曽谷へと結ぶ権兵衛トンネルが開通してからというもの、春遅くまでスキーを楽しむ山ですし、登山先として行楽先として御岳山は我々にとっても身近な山です。開田高原から望む御岳山はまさに信仰の山の如く、思わず合掌をしてしまう圧倒感があります。しかし今回は、牙をむいた霊峰に立ちすくむ人間の小ささを痛感する悲しい出来事でした。
御岳山

蕎麦の花満開

あちらこちらの田んぼで作られる蕎麦の花が満開を迎えています。都会暮らしをしていて思いましたが、蕎麦の味だけはどうしても信州に敵いません。蕎麦粉は痩せた土地ほど良質だと言われる通り、本来田んぼですと土壌が肥え過ぎているのと、田んぼは比較的低地にあるために、蕎麦の風味はどうしても大味になってしまうのだそうです。しかしそれでも、地粉で外国産蕎麦粉よりははるかに良いと思います。ちなみに、「ざる一枚2,000円~3,000円」の値段が付いたざる蕎麦のメニューを目にすることがありますが、それは地元産の蕎麦粉の中でも「ブランド蕎麦粉」で、収穫量もほんのわずかなものになります。ブランド蕎麦粉は老舗の有名蕎麦店へ優先的に流れておしまいだそうですから、もしメニューに見つけた際はせっかくですから是非お召し上がりください。通常、一日のなかでも枚数に限りがありますので、午後に行ったら無くなっている場合が多いのでお早めに行かないとだめです。

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味も極めた『南信州ビール』

1994年にビール造りが解禁されてから2年後、1996年長野県第1号の地ビールメーカーとして【南信州ビール 駒ケ岳醸造所】がスタートしました。
日本中の地ビールがそうであったように、南信州ビールも駒ヶ根市の観光地活性化を目的とした要望によるものでしたが、幸運なことに駒ケ根高原の川向こうには「マルスウイスキー」の信州ファクトリーがあり、脈々とウイスキー造りを行っていました。それが縁で、醸造所はマルスウイスキーの工場内にあります。
ビールは水が命、中央アルプスの軟水を使用した南信州ビールの中でも《ゴールデンエール》が日本中の地ビールメーカーを抑え「ジャパンビアグランプリ2000」の金賞受賞。2003年には《アンバーエール》が金賞受賞を受け、当初の設立目的であった観光活性化を補うには余りある独自の道を究めています。
芳醇でフルーティーな香りと、コクのある深い味わいが魅力の「エール」系/南信州ビールは、駒ケ根高原内『直営レストラン味わい工房』でたっぷりどうぞ。
http://www.ms-beer.co.jp/
1994年の地ビール解禁から2年後、1996年長野県第1号の地ビールメーカーとして【南信州ビール】がスタートしました。
日本中の地ビールがそうであったように、南信州ビールも駒ヶ根市の観光活性化を目的としたものでしたが、幸運なことに駒ケ根高原の川向こうには「マルスウイスキー」の信州ファクトリーがあり、脈々とウイスキー造りを行っていました。それが大きな支えとなり、醸造所もマルスウイスキーの工場内につくられました。そしてビールは水が命。中央アルプスの軟水を使用したビールは上質なものでした。そんな中ブランドの一つ《ゴールデンエール》が数ある日本中の地ビールメーカーを抑え「ジャパンビアグランプリ2000」の金賞を受賞。2003年には《アンバーエール》が金賞受賞を受け、当初の設立目的であった観光活性化を補うには余りある、ビアテイストの道も極めてしまいました。
芳醇でフルーティーな香りと、コクのある深い味わいが魅力の「エール」系/南信州ビールは、駒ケ根高原内『直営レストラン味わい工房』でたっぷりどうぞ。
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4代目ゴンドラ登場!駒ヶ岳ロープウェイ

6月28日、駒ヶ岳ロープウェイは新しい4代目のゴンドラに一新しました。
昭和42年の開業から3代目までは、グループ企業の名鉄カラーである「白いボディーに赤いライン」でしたが、4代目からは1号車緑色のライン。2号車ピンクのラインだそうです。
昭和36年の市議会で壮大なロープウェイ計画が持ち上がり、2年後駒ケ根市長を社長とし、名鉄の資本が入り中央アルプス観光㈱が設立。難工事の末の4年後、日本初の山岳ロープウェイの開業でした。
一気に駒ケ根市は観光地として名古屋・大阪の観光客を集客する町となったのです。
6月28日、駒ヶ岳ロープウェイは新しい4代目のゴンドラに一新しました。
昭和42年の開業から3代目までは、グループ企業の名鉄カラーである「白いボディーに赤いライン」でしたが、4代目からは1号車・緑色のライン。2号車・ピンクのラインだそうです。
昭和36年の市議会で壮大なロープウェイ計画が持ち上がり、その2年後、駒ケ根市長を社長として名鉄の資本も入り中央アルプス観光(株)が設立。難工事の末の4年後、日本初の山岳ロープウェイの開業となりました。中央自動車道の開通とともに、一気に「駒ケ根市」は観光地として名古屋・大阪の観光客を集客する町・リゾート地となったのです。 (画像は旧3代目)http://www.chuo-alps.com/
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中央アルプスの雪形

雪形中央アルプスの山肌の雪解けを、様々な形に見立てた「雪形」が楽しめます。

「昔は暦代わりに田んぼづくりの合図として利用していた。」などとはよく言われます。
がしかし、暦の伝来は1,500年前ですから、暦がなかったわけではありません。
日本列島に稲作が伝わったのは2,000年前と言われていますが、実質伊那谷で水田が開墾され始めたのは、
おそらく600年位前(室町時代)以降で、それ以前の伊那谷はほとんどが松林でした。
稲作と暦は、既に早くから密接に関係していたのではないかと思うのです。
「島田娘」という雪形だって、その髪型はつい4~500年前の髪型です。
雪形を眺めながら、そんな歴史考証を想うのでした。
中央アルプスの雪解けを、様々な形に見立てた「雪形」が楽しめます。いつ頃からなのか、古くから伝わる雪形には「なるほど」と思ったり、正直なところ「そうかな?」と思ったり。数日間のうちに姿も変わってしまうので、皆さんがご自由にああ見える、こう見えると楽しまれるのが良いと思います。日の本広しといえども、雪形が市街地にいながら楽しめる地域は、そうは多く無い筈です。時代の変化とともに、「若者にはこう見える」ということもあるようですが、‟公式な雪形”としては写真のものが正しいようです。『昔は田んぼ作りの合図として、暦の代わりに使っていた。』とは、実によく言われる話なのですが、信憑性としてはどうでしょう?暦は古くから存在し生活に密着していましたから、昔の人も雪形を待ちわびた春の風物詩として楽しんでいたことでしょう。
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雪形

カエルの合唱

5月のGW期間中は、水田を持っている農家にとっては遊んでばかりはいられません。田んぼ作りをしなくてはいけないのです。田んぼをお耕し(おこし)、水を張ると、どこにいたのか?いつ大きくなったのか?数日後からはたちまちカエルの合唱が始まります。陽が長くなった夕方から夜中じゅう、そして夏の終わりまで。大騒音のはずなのに、自然界のサウンドは苦にならないようになっているのは、人も自然の一部だからなのでしょう。(中沢地区からの中央アルプス)

伊那谷田植え前

光前寺のしだれ桜

5月の連休前には光前寺のしだれ桜が満開となりました。桜色が、背景の冠雪した白いアルプスに映えて
多くの観光客の歓声を浴びていました。昼間はもちろんですが、夜になるとライトアップがされましたので
観光客の皆様には、また来年は是非ご宿泊をされて夜桜もご覧いただきたいところです。
隣接する駒ケ根高原美術館には、池田満寿夫らの芸術作品からの刺激も与えられ、思い出深い信州の旅
になるますのでおすすめです。
5月の連休前には光前寺のしだれ桜が満開となりました。桜色が、冠雪した白いアルプスの背景に映えて、多くの観光客の歓声を浴びていました。実は夜になりますとライトアップがされましたので、観光客の皆様には、また来年は是非とも早太郎温泉郷にご宿泊をいただきまして、夜桜もご覧いただきたいところです。隣接する駒ケ根高原美術館では、池田満寿夫らの芸術作品から強烈な刺激をもらえますので、思い出深い信州の旅になる事おすすめです。
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2014春 桜と中央アルプス

ようやく長い冬をやり過ごし、この季節を迎える事ができました。昼間は暖房がなくても過ごせるほどに穏やかな気温上昇となり、花々は我を競うように咲き始めました。梅、水仙、木蓮、レンギョウ…。5月のGW頃までは花桃や山吹、つつじなどなど見事な景色を味わうことができます。一眼レフ持参のご年配のアマチュアカメラマンが多い事に気づかされる頃でもあります。「写真は中沢地区の天竜川沿いの桜越しに見る中央アルプス。右から伊那前岳、宝剣岳、檜尾岳~空木岳、南駒ケ岳」

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