南天が彩る師走

古くからのお宅では、南天の木を多く見かけます。真赤に色付いた南天の実が、鈍よりとした師走の駒ヶ根に映えています。
南天は~難を転じて福となす~に通じることから、縁起の良い木として植えられているものとばかり思っていました。そして赤い実は、食べ物の少ない冬には鳥の好物になっていいなあなどと考えていたのです。ところが、12月に実った果実は天日で乾かし、冬期の咳止めや解熱として煎じたのだそうです。さらには、お祝い事に食べるお赤飯。昔のお赤飯には、ひと片の葉が添えられていた記憶がありますね?あの葉の正体は南天の葉だったのです。南天の葉には「ナンニジン」という成分が含まれており、お赤飯の腐敗を抑える作用がありました。昔の人には敵いません。縁起物でもあり、生薬でもあり、防腐剤でもある「南天」。どうりで、どのお宅にも植わっている訳です。 ????皆さま、良いお年をお迎えください。

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日帰りバスツアーが減った理由

例年よりは、少し冬への足踏みが鈍い年のように感じますが、山々は真赤に燃えて紅葉の最盛期となっています。
しかし駒ヶ根へは近年、特に東京方面からの日帰りバスツアーが激減してしまいました。皆さまご存知の通り、高速ツアーバスの大事故後にバスドライバーの労働時間が厳しく制限されるようになりました。それが大きく影響しているのです。地理上、新制度の元では首都圏と駒ヶ根の距離は、一人のドライバーで往復可能な目的観光地からはみ出てしまうのです。そのため制度の影響をモロに食らい、バスによる団体客の激減という状況に頭を悩ませているのです。四半期ごとの地元の経済指数には、「中央アルプスロープウェイの乗客数」が景気指数とされているのですが、数字は悪化の一途です。多様化の時代、登山を楽しまれる方は本当に多いですし、サイクリングやオートバイ等‥皆さま様々な余暇のスタイルをお持ちです。駒ヶ根は、懐の深い集客地へと転換を図る時代を迎えています。

仙丈中沢

マラソンと駒ヶ根市民の関係

9月の最終日曜日には、恒例の「駒ヶ根ハーフマラソン」が開催されました。第3回のこの大会ですが、距離とコースが変わる以前は、「駒ヶ根高原マラソン」というネーミングで30回の実績があります。約4,000人のランナーを集めるこの大会は、長野県で3番目に大きなマラソン大会になります。
当初の「駒ヶ根高原マラソン」に出場する理由は、「会社からの指示で…」と、大会を盛り上げるために仕方なく参加する人も多かったのです。しかし、イザ参加をしてみると真面目な県民性が顔を出します。自分の体力の衰えを痛感する人が続出。そして生活習慣を変える人多数。タバコを止める人激増。そのままランナーを続ける人多数など、主催者の思惑以上に駒ヶ根市民の体力向上の転機となりました。筆者もその一人です。「頼むから出てくれ」と誘われて出たものの、ゼーゼー言って沿道の方から逆に心配される始末。自分の情けない姿を恥じて、翌日タバコを止めたのでした。

http://koma-marathon.com/

marathon

稲刈りの記憶

雨続きの9月、ひと雨ごとに駒ヶ根はすっかり涼しくなってしまいました。雨さえなければ今日でも明日にでもコンバインによる稲刈りが始まります。稲刈りは一気に集中するので、コンバインのスケジュールはお盆前から実は決まっています。40年前頃までの伊那谷の稲刈りは、命の次に大事な「米」の収穫ですから、高揚感があり最大の行事でした。年寄も子供も犬までも家族総出で田んぼに出かけ、まだ鎌でも稲を刈り取っていました。親戚も手伝いに来て、重労働のはずなのに皆が楽しげで、土手の脇で持参した昼食をとったものです。夕飯はねぎらいのご馳走ですから、それはもう大変なイベントでした。
都会へ出てしまわれた方でも、ご年配の方ならば記憶の中に田んぼの匂いと稲わらの匂いをお持ちの方も多いはず。農地付の中古住宅などは今後更に増えてくると思います。田んぼでの稲づくりは制約もあるので大変ですが、畑仕事などの農業をやりながら田舎の暮らしをご希望の方は、時折当社ホームページをご注目ください。

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駒ヶ根の夏と言えば…

お盆が過ぎ、駒ヶ根のイベントも8月22日の「天竜かっぱ祭り」の花火大会を残すばかりとなりました。このお祭り、2年ほど前に「天竜ふるさとまつり」から名称が変わりました。理由はさて置き、名称が変わった最たるお祭りは「KOMA夏」という7月最終週のお祭りでしょう。以前は、嗚呼懐かしきバブルの産物、『駒ヶ根サンバカーニバル』というお祭りでした。町内会チームや企業チームが踊りながら練り歩くお祭りが10年ちょっと続きましたが、サンバと呼ぶにはかけ離れたお練りの様子と、年を追うごとの衰退ぶりに、名称を変えて踊りのジャンルを広げて再スタートしたわけです。晩夏にスキー場で行われた「駒ヶ根JAZZフェスティバル」なんてのもありました。これはスポンサーにも撤退されて廃止になりましたが、演奏される音楽のジャンルそのものがJAZZではなかったところがこれまたバブル、当時の世相だったのです。

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青年海外協力隊 駒ヶ根

「青年海外協力隊」という言葉はニュースなどで多く聞かれたことがあると思いますが、その施設の一つが駒ケ根にあります。地元ではJACA(ジャイカ)とか、協力隊と呼ぶことが多く、海外協力隊から国道153号線までの一本道も「協力隊通り」と名付けられています。
国内に複数ある施設に中でも、駒ケ根と福島県二本松の2か所は訓練施設ということで、海外へ赴任される前の70日間をここで過ごされます。こうした方がODA(政府開発援助)の実践を担うわけですが、彼らの姿勢と現場で流す汗が、どれほど日本の地位向上に貢献してくれている事でしょう。
東日本大震災後の支援の中には、貧しい小国からも善意が寄せられたそうですが、そんなことをしてくれる背景にはこうした隊員の努力が伺えます。
http://www.jica.go.jp/
「青年海外協力隊」という言葉はニュースなどで多く聞かれたことがあると思いますが、政府機関施設のその一つが駒ヶ根にあります。JICA(ジャイカ)という呼び方が正式なようですが、地元では「協力隊」と呼ぶことが多いと思います。青年海外協力隊から国道153号線までの一本道も「協力隊通り」と名付けられています。
国内に複数ある施設の中でも、駒ヶ根と福島県二本松の2か所が訓練施設ということで、隊員さんが海外へ赴任される前の70日間をここで過ごされます。こうした方がODA(政府開発援助)の実践を担うわけですが、彼らの姿勢と現場で流す汗が、どれほど日本の地位向上に貢献してくれている事でしょう。
東日本大震災後の支援の中には、貧しい小国からも善意が寄せられたそうですが、そんなことをしてくれる背景にはこうした隊員の努力が伺えます。
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養命酒

駒ケ根市の南西の端に位置する養命酒・駒ケ根工場では、芍薬の花が見ごろとなっています。100%生薬で作られるボタン科の芍薬養命酒に於いて、芍薬もまた養命酒の成分の含まれます。
駒ケ根工場と言っても養命酒発祥地にほど近く、伝承によれば、慶長年間、現在の上伊那郡中川村に住んでいた塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助けたが、老人が去る際に薬用酒の製法を教えてくれたのが養命酒の起源だといいます。1602年に製造を開始して翌1603年には徳川家康に献上され、そのときに日本初のトレードマーク「飛龍」の印を使うことが許されたといいます。
養命酒は赤穂浪士が飲んでいたという記録があるほか、海軍大将の山本五十六が養命酒の愛飲家であったことも知られています。
工場見学の観光バスばかりか、ファミリー・カップルだけでも見学は可能です。
駒ヶ根市の南西の端に位置する養命酒・駒ヶ根工場では、芍薬(ボタン科)の花が見頃となっています。100%が生薬で作られる養命酒に於いて、芍薬もまた養命酒の成分のひとつです。工場と言っても、養命酒発祥の塩沢家(塩沢海軍大将の実家でもある)はほど近い上伊那郡中川村のため、養命酒は誇り高き地元の特産品です。伝承によれば、慶長年間、塩沢宗閑翁が、雪の中で倒れていた老人を助け、老人の去り際に薬用酒の製法を教えてくれたのが起源だといいます。1603年に徳川家康に献上された時には、日本初のトレードマーク「飛龍」の印を使うことが許されたといいます。愛飲家も有名人が多く、中でも赤穂浪士が飲んでいたという記録があるほか、海軍大将の山本五十六が愛飲家であったことも知られています。

駒ヶ根にお越しの際には工場見学をお薦めします。観光バスばかりではなく、ファミリーやカップルだけでも見学は常時可能です。

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駒ヶ根の水道水はすごい!のです。

ゴールデンウィークになり、駒ヶ根もようやく晴れた日中は汗ばむほどになりました。
しかし驚かれるでしょうが、こんな陽気になってもなおまだ駒ヶ根市の水道水はキンキンに冷たく、食器の洗い物を水のままでしようものなら、冷たさでたちまちに肩のあたりまで痛くなってしまいます。
真夏になっても、子供の水浴びは水を張ったプールをしばらく日向に置いておかないと冷たくて入れないほどなのです。犬の水浴びも、水道水を直接ホースで浴びせると逃げ出してしまうほどなのです。
それもそのはずで、市街地を含む主な駒ヶ根市の水道水は、中央アルプスからの清流を上水道に使用しているからです。いつも見上げている「あの山」の水を飲んでいるわけですから、その安心感たるや他の地域とは比較になりません。
おいしいことはあえて申すまでもないでしょう。駒ケ根にお越しの際には決してミネラルウォーターなどを買わずに、水道水を飲んでみてください。
GWになり、ようやく駒ヶ根も晴れた日中は汗ばむ季節になりました。驚かれるでしょうが、こんな陽気になってもなお駒ヶ根市の水道水は「キンキン」にまだ冷たくて、水のまま食器洗いをしようものなら手の冷たさを通り越し、たちまちに肩のあたりまで痛くなってしまいます。水の冷たさは真夏でも保たれていて、子供の水浴びはプールに水を張っても、しばらく日向に置いておかないと入れませんし、犬の水浴びも、水道水を直接ホースで浴びせるとすぐに逃げ出してしまうほどです。
それもそのはずで、駒ヶ根市(市街地を含む主な山麓地域)の水道水は、中央アルプスからの清流を上水道に使用しているのです。いつも見上げている「あの山」の水を飲んでいるわけですから、その安心感たるや他の地域とは比較になりません。おいしいことはあえて申すまでもないでしょう。かつて『暮らしやすい町全国第1位』を取った理由もそんなところにあったのかもしれません。
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寒の戻り

4月に入っても天気がさえず、雨続きの上に「寒の戻り」で駒ケ根でも4月8日にはうっすらと積雪がありました。生憎の悪天候つづきにも関わらず、それでも花々は健気に開花を進めてくれて、気が付けば一斉に何もかもが開花して伊那谷の春を装っています。
奇麗な花を見つけては「あれは何だろう?」と、ひと様のお庭でさえもつい覗き込んでしまいます。
ネットで調べたのでしょうか、山の中の一本桜を撮影している一眼レフを手にしたご年配カメラマン。お車のナンバープレートは県外ナンバーです。
心配された駒ヶ岳ロープウェイも3月下旬に再開されました。お蕎麦屋さんやソースかつ丼のお店もこれからがかき入れどきです。多くの方が駒ケ根にいらしてくださればうれしいです。
3月下旬からずーっと雨続きの上に、8日には「寒の戻り」で駒ケ根でもうっすらと積雪がありました。それでも花々は健気に開花を進めていて、気が付けば一斉に何もかもが開花して伊那谷の春を装っています。奇麗な花を見つけては「あれは何だろう?」と、ひと様のお庭であってもつい覗き込んでしまいます。
ネットで調べたのでしょうか、山の中の一本桜を撮影している一眼レフを手にしたご年配カメラマン。お車のナンバープレートは県外ナンバーです。
心配された駒ヶ岳ロープウェイも3月下旬に再開されました。お蕎麦屋さんやソースかつ丼のお店もこれからがかき入れどきです。多くの方が駒ケ根に観光に来られて、まずは駒ヶ根を好きになって下さればうれしいです。
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春を見つけた!

南北に150Kmにも及ぶ長野県では、特に春の訪れには大きな地域差があります。新潟県側と静岡県側では1か月~1か月半ほどの春の差があるのではないでしょうか。まだまだ2メートルの深雪がある日本海側気候の新潟県境・栄村と、一方で早くも梅の花が見頃の温暖な東海側気候の静岡県境・天竜村。同じ長野県と言えどもこの差は大きく、当然文化も違えば、言葉も違います。
長野県の南部に位置する駒ケ根市では「ふきのとう」が顔を出し始めています。春の山菜のトップを飾るフキノトウ。これから5月のGWまでの間は「タラの芽」「コシアブラ」「わらび」「ウコギ」「たけのこ」といった山菜を比較的身近に摘むことができるのも田舎暮らしの醍醐味の一つです。

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